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0143 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / Page 143 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000287
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の餘地があらうとは思はれない第一圖參照。西域記を精讀すると、巨像の西
南、鎔谷北側の斷崖を貫ふ位置にあつたものと知られる。即ち、道路が答し
く屈曲してゐる附近に、甚だしく崩壊した處があり、又無數の洞窟があつて
其の一部には今でも人が住んでゐる。石像の上方にあり、鎔谷の南側斷崖上に人間の住んだ處にあつてシャリゴ
ルゴラ Ghilgit-Ghilgit である。鎔谷の南側斷崖上にあつてシャリゴ
思はれる其の場處である。石像の上方にあり、遙に人間の目立つ遺跡らしく、
舊跡に至常研究の問題で、今此處に其の制定を急ぐ必要はないから、他日叢
これは階僧坊のあつた時を待つことにする。長老薗那和修は Ghilgit の遺
物を保存に依て決定された僧坊のあつた時を待つことにする。多く草木の茂つた鎔谷の方位決定に就
調査して其の推定を慣ふことにする。チュリアン Stanislas Julian サミュエル Beal は之に東南倒ちへ
ルャンド Helmand 河上流々域の方向と言ひ、ビール Stanislas Julian サミュエル Beal は之に反し西
南即ちバンディェミル Bandichhir 鎔谷、謂ひ換へるとバルク川上流と言つて
居る。此の點に就てはホルディチ著 Gazetteer of India 二五六頁、バルク川はヤク

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