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0109 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / Page 109 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000287
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宣言したか、倘ほ最近二世紀間に、どうして現在のアフガニスタン園が成立
し同時に其の名が此の地方全般に擴がるに至つたか、さういふ事柄を述べる
必要もないが、唯一つ玄奘法師の旅行談を讀んで此の點に關して思ひ付く所
を言ひ加へてみれば、當時にあつても千年後同樣、此の地方全般に亙つて、
人種、言語、政治などの點では何等の統一もなかつたと云ふことである。北
方はオクサス(Amou-Daria)河の左岸は全部トカリスターンに屬し、西部境界地
方は波羅斯朝(サーサーニド王朝)の東側から始まりベルシアと區別の付かぬ地位にあ
り、北部印度はイラン系高原が前世紀あつて、序でながら、さういふ地が、
上から新アフガニスタン園が前世紀中、ペルシアに對してはカーブル(Kabul)やカンダハル
セイスタン(Seistan)を、又ロシアの侵入に對しては最近併合したトルクスタン(Turkestan)
Kandahar を、次から次へと防禦しなくてはならなかつたことを或る程度まで
の西北部を、次から次へと防禦しなくてはならなかつたことを或る程度まで
説明することが出來ると言はれよう。誠にアフガニスタン山靈の周圍は三大

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