National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0111 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / Page 111 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000287
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

ことになったものか、余の見る所では次の通りである。最初に侵略して来た
アラビア人がカーピシーの都を根本的に破壊したと云ふのは怪しいもの
である。何故かと云ふと、チャリカール Tcharikar に接するベグラームの無盡
蔵な地中から、印度希臘及びクーシャン時代の古鏡に混じて、古代のアラ
ビア銘記を見る古鏡が出るからである。然し、法師が二度目に此處を通つて
数年経つか経たぬ紀元六五二年、次で六六四年に受けた陵蹙は、歩くとも首
都としてのカーピシーの蓋だ不完全な掃棄の合圖になつた管でである。印度本
道上に位置するトルコ人種完全な佛教信者の思はれのは当時のカーブールの
角、八七〇年にカーピシュ Kabish と云ふ名称に於てカーブール張りカーブ
ッキー Yakoub ben Laïs の捕虜にさ礼たと断言されてゐる次第である。カビシュ Kabish と云ふ名称であらうに於てカーブールであると断
言されてゐる次第である。カビシュ Kabish と云ふ名称に於てカーブールであると断

十一世紀にアルビルーニ Albiruni の書いたものが最終の記録となつてゐるが、
それに依ると、当時既に此の名稱はカーブール地方の舊名たるに過ぎなかつ

— 146 —