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0112 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / Page 112 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000287
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つたが、夏御所のあつた處はカービシーの都であつたことも吾人の承知する
所である。猶ほ又バーミャーン②これを含む健駄邏之れを含むにかけて
玄奘法師が通過した各地は勿論、其の帰途通過したバンヌやガズニなどけ
カビシャ國に属したものである。イランと印度の中間地區たる此の地方
には常に、ヒンヅクーシュ越の出口となる邊にどうしても一大商業都市があ
つた筈に、只だ其の要地に関する記録は今よりも十五里北方にあつたと云ふ迺
ひに過ぎない。パーブール帝は昔は今よりも十五里北方にあつたと云ふ迺
のカーブールには印度の物産の外に猶ほコラサン(Khorasan)ルーム(Rum)イラ
ク(伊)及び支那などの物産があつたと云ふことを讀んだ時、此の一句はゑ
奘法師がカビシャのことを述べるに当つて其處には諸外國の竸し合商品豐か
なりと記述した交句の反響の如くに感じたが、集散市場の地位から云ふと現在
の首都は、北方コヒスターン方面にあつた古くからの競争市場の地位を察つ
たと云ふに過ぎないことが明白である。然らば、其の集散市場から集散市場への地位の移
轉は何時行はれたものか、又その結果、同時に本道もカーブールに迂囘する

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