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0120 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / Page 120 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000287
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歴史的建造物の鑑定が場處に依て一定しないのは人の知る通りであるが、
惡にチャラハーバードの位置が確定するやうに好めなくては、此の都會を爲に最
も多い場處を決定するやうに好めなくてはならぬ。是れが爲には三つの主要
な参考資料がある。先づ東方の三里の地點には、高さ三百尺の大きな主塔があつ
て、吾々の謂ふ佛陀が遠昔の先覺者燃燈佛 Dīpaṅkara から脱来貴い身分に
なると云ふ謂言を受けた場處を表示したものである。次に西南二十里の
地は、佛陀が子孫の爲を思ひ、或る洞穴内に我が影を殘したものだと考へら
れてゐる。最後に、貴もあつた醯羅城は東南三十里の地にあつたものである。とこ
ろで此の醯羅城に依てあつたことはラバードの南方七八吉米突を殘したとゞ
云はれてゐるチャラバードの所南方七八吉米突で、これに依
ふ洞穴に就ては法顯、宋雲、立非法師三者の說が一致する。又影を殘したとゞ
と其の洞穴はどうしても、南方に連なる長い斷崖に沼ひチャハールバーグ
と村落の南方なるシャーサン Shāhsāns(黒石と云ふ割目までの間

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