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『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

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0198 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
仏教美術研究 : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / 198 ページ(カラー画像)

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doi: 10.20676/00000287
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れたのである。今、印度 Hindustan とイラン Iran とを分つ山地を一瞥すれば、此の地方自然の特質で、目下の問題が殊に罪純になる事を示すのである。實、美術は嘗て山の花でないことは、旣知の法則であり、従つて、ギリシア美術は嘗て山の花でないことは、旣知の法則であり、従つて、ギリシア風佛教派は、地圖に記されてゐる二沖積平野の何れかで生れ、其花を開いた事は確かであるとする圖に記されてゐる二沖積平野の何れかで生れ、其花を開いた事は確かである。換言すれば、オクサス河の流域か、ヒンヅクーシ [Hindou-Kouch] の北か南か、換言すれば、バカーブ [Baktria] 河の下流か、カーブル河の流域か、インダス河の流域か、一層精密にいへば、バカーブ [Baktria] 河の下流か、カーブルロウド [Kaboul-rou] 河畔地圖と之等兩河地方を求むるには、安息國バクトリア犍陀羅國と之を先づ決めてか、らねばならぬ。抑も、犍陀羅、即ち、ペシャワール地方は、十九世紀中葉以來、殊に五河地方が奧領印度に併合されて犍陀羅風佛像發見の主要地であつたので、兩から、印度はギリシア風佛像發生地をともいへるが、富以上のギリシア移民が長い間居た事を忘れて國の問題が解決されたものを求めいへるが、富以上のギリシア移民が長い間居た事を忘れて知られてゐる流派の發生地を求めるに場合には、半ば以上のギリシア移民が長い間居た事を忘れてトリアには、中亜を通じて最も重要なギリシア移民が長い間居た事を忘れて

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