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『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

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0200 Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1
仏教美術研究 : vol.1
Études sur l'Art Bouddhique de l'Inde : vol.1 / 200 ページ(カラー画像)

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doi: 10.20676/00000287
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OCR読み取り結果

いのである。
然しながら、彫刻家は、確かに印度人でなかつたとしても、之がギリシァ
人であつた事を、確證し得るかといへば、余は疑點のある彫刻の作者を、
述べたいのである。若し印度人が、このギリシァ化した點のある所を伴はる無く
でありないとすれば、ヨーロッパ人が、印度の救主としての十金の像を、
如何して精想し得たかといふ事も赤疑ふ事が出來る。何となれば、終に今ま
で純ギリシァ的の像を得た事はないからである。之は決して、ギリシァ神に
裸像、或は半裸像ではなく、僧衣を纏うて居、其の耳朶が非常に延び、確
かに印度の風習である重い寶石を耳飾にした跡を存し、更に、陰鬱な忍從の
表情は、何等ギリシァ神に普通な生活樂や、登大の風と共通を見ないので、
土着人は、ギリシァの技工に更に工夫し得たのではない事は明かであるが、而
も、外國人が、佛敎の宗敎的感情を一層よく了解し、之を表はし得たとする
事も疑問になる。
斷の如く、少くとも全然公平を期するものには、何人にも、彫刻に困難が

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