現在の東城区雍和宮大街の東側。清の康熙三十三年(1694)に皇子胤禛(後の雍正帝)によって建てられ、禛貝勒府と呼ばれた。胤禛が和碩雍親王に封じられた後は雍親王府と改め、胤禛が即位した後、半分は黄教上院となり、半分を皇帝の行宮となった。後に行宮は焼失し、雍正三年(1725)には上院の名を雍和宮と改めた。雍正十三年(1725)に雍正帝の棺を安置するため、主要な建築の瓦を黄色の瑠璃瓦に葺き替えた。乾隆九年(1744)に喇嘛廟に改め、清朝政府によるラマ教管理の中心地となった。現在、北京に現存する最も大きな喇嘛廟である。
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アルフォンス・フォン・ムンム『写真で綴る日記』におさめられた雍和宮の写真。1902年出版。 | 雍和宮の現在の様子。2007年8月撮影。 |
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