Steinが調査し、Innermost Asiaで報告されたCave shrine below Yutōghは、現在の忙得古爾石窟に当たる。Innermost Asiaでは、1. Cave shrine below Yutōgh、2. Buddhist shrine below Yutōgh、3. Cemeteries near Masār of Yetti-kiz-khōjam, Yutōghの3つの遺跡が報告されており、Lamjin(連木沁、ラムジン)の東南にある谷沿いに位置する。ドイツ隊も調査しており、古写真が残る。『西域文物考古全集』にも収録される。同様に、2. Buddhist shrine below Yutōghは西格力克塘木寺院、3. Cemeteries near Masār of Yetti-kiz-khōjam, Yutōghは耶特克孜瑪扎古墓群に該当する。
現在,現地において烏江不拉克佛寺遺址として知られる寺院遺址は,ドイツ隊が調査したMurtuq III Anlageと呼ばれる遺跡である.この遺跡は,既にスタインが調査したMurtuk ruins M.C.であることが判明しているため,3件の報告書で報告されたこれらの遺址が,同一の遺跡であることが明らかになる.
スタインはSerindiaのChap. XXXI, Sec. iii, “From Domoko to Khotan”において,Cīra のRawak ruinsとMaira-tatiの存在を報告しており,Maira-tatiについては採集したレリーフの断片からおおよそ唐代のものとする 。現代ではこの地点には「熱瓦克佛寺遺址」が報告されており、位置は“策勒鎮西北4.5公里”としており,Chīra-bāzārの西北5㎞地点に描かれるRawakおよびMira-tatiの位置と一致する。
スタインはAncient KhotanのChap. III, Sec, ivに“The Tüga-dong Mounds and the Keriya-Khotan Route” としてPebbel Saiの端から遠くない地点にあるMoundsについて報告した。この地点の衛星画像を拡大すると,図19のように南北方向に散在するマウンドを確認できる。