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    チラ河(策勒河)上流に位置する于闐国時期と思われる城塞の遺跡。高峻な崖に守られた台地の上に位置し、城内には建物跡・道路跡などがはっきり残る。南側には城壁と堀が存在する。普査の報告によると、城内からの出土物はほとんどないという。
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    于闐国の時代には牛角山と言われた由緒ある仏教石窟。現在は山頂にマザールがある。
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    シルクロード東部地帯の中心地であった高昌城の遺跡。ドイツ隊・大谷隊・スタイン等、多数の探険隊が調査を行っている。
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    ドイツ隊のルコックらが調査した遺跡群。現在は七康湖と呼ばれる湖の周辺および湖心島に存在していた遺跡と考えられる。7世紀のものと考えられる仏教遺物が出土しており、6世紀の『麹斌造寺碑』との関係が指摘されている。
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    Steinが調査し、Innermost Asiaで報告されたCave shrine below Yutōghは、現在の忙得古爾石窟に当たる。Innermost Asiaでは、1. Cave shrine below Yutōgh、2. Buddhist shrine below Yutōgh、3. Cemeteries near Masār of Yetti-kiz-khōjam, Yutōghの3つの遺跡が報告されており、Lamjin(連木沁、ラムジン)の東南にある谷沿いに位置する。ドイツ隊も調査しており、古写真が残る。『西域文物考古全集』にも収録される。同様に、2. Buddhist shrine below Yutōghは西格力克塘木寺院、3. Cemeteries near Masār of Yetti-kiz-khōjam, Yutōghは耶特克孜瑪扎古墓群に該当する。
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    スタインが調査し、Innermost Asiaで報告した塔。Khando(現在地名は夏墩)の東2kmに位置する。「墩台」の名が付けられているが、スタイン調査では寺院遺構として報告され、1980年代の調査においても仏教寺院遺址と思われる遺物が出土している。
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    ベゼクリク千仏洞から北2㎞ほどの地点、ムルトゥク河右岸の台地上に広がる遺跡群。スタインがInnermost AsiaにおいてMurtuk ruinsとして報告し、M.A., M.B., M.C.,M.D.という4つの遺跡群を報告した。現在は烏江不拉克と呼ばれ、石窟・寺院・故城・墓葬が集中して分布する遺跡群である。現代の調査で報告された遺跡と、スタインが報告していた遺跡は、一部重複するが、異なる遺構も報告されている。
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    Cemeteries near Masār of Yetti-kiz-khōjam, Yutōghと耶特克孜瑪扎古墓群
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    スタインがSo-yang-ch'êngとして報告する城址。唐代の瓜州城の遺跡とされ,現在は鎖陽城として知られる。城内は建物の痕跡とみられるマウンドが続き,保存状態も良好である。
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    鎖陽城の東北にあるヤルダンの中に残る都市遺跡。漢代以降の県城跡と言われる。城壁の跡のみ残る。
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    コータンオアシス北方の砂漠の中に位置する城塞遺跡。円形の城塞のうち、現在はその北北東の部分の城壁が一部残存するのみである。
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    現在,現地において烏江不拉克佛寺遺址として知られる寺院遺址は,ドイツ隊が調査したMurtuq III Anlageと呼ばれる遺跡である.この遺跡は,既にスタインが調査したMurtuk ruins M.C.であることが判明しているため,3件の報告書で報告されたこれらの遺址が,同一の遺跡であることが明らかになる.
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    現在、烏江不拉克仏塔と伯西哈石窟として知られている遺跡は、スタインが調査したMurtuk M.B.であることが判明している。この遺跡は、ドイツ隊が調査したMurtuq II Anlageでもあり、この3つの調査で報告された遺跡は同一の遺跡である。
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    MokuilaのTōpa-timと現在の木奎拉鄉の蘇勒尕孜牙廷木烽火台
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    ユルン=カシュとカラ=カシュの間にある仏寺。
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    スタイン地図にはTasmacheという遺跡の記載があるが、スタインは具体的な調査報告をしていない。この地点には「和田普査」で「台吐遺址」という遺跡が報告されており、位置の類似性から同一の遺跡と判定できる
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    スタインはSerindiaのChap. XXXI, Sec. iii, “From Domoko to Khotan”において,Cīra のRawak ruinsとMaira-tatiの存在を報告しており,Maira-tatiについては採集したレリーフの断片からおおよそ唐代のものとする 。現代ではこの地点には「熱瓦克佛寺遺址」が報告されており、位置は“策勒鎮西北4.5公里”としており,Chīra-bāzārの西北5㎞地点に描かれるRawakおよびMira-tatiの位置と一致する。
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    コータン北方にある著名な大規模仏塔遺址。
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    スタインはAncient KhotanのChap. III, Sec, ivに“The Tüga-dong Mounds and the Keriya-Khotan Route” としてPebbel Saiの端から遠くない地点にあるMoundsについて報告した。この地点の衛星画像を拡大すると,図19のように南北方向に散在するマウンドを確認できる。
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    第一次ドイツ=トルファン探険隊が調査した高昌故城内の仏教寺院遺跡。
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    第一次ドイツ=トルファン探険隊が調査した高昌故城内の仏塔遺跡。佛龕を伴う三段の塔が特徴的な形状をしていた。現在は基壇のみが残る。
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    勝金口の道路の両脇に存在するウイグル時代の寺院。一帯に9~10件程度の寺院が存在する。