史記大宛列傳。明嘉靖四年至六年震澤王氏刊本。中国の西方の国々が記録のうえに明確に現れたのはこの『史記』の「大宛傳」が最初である。ここに漢の武帝が大月氏に張騫を派遣した記述を載せる。ただしここにはまだ「西域」の語はみえない。張騫の見聞は漢の西域経営に資する所大きく、元狩元年(B.C.122)には西域での見聞を基とした想定から、インドへの道を開拓する目的を以って、西南夷に探検隊を派遣した。後、伊犂地方に據る烏孫と結んで匈奴を伐つべきことを建策して、中郎将に拝せられ、元鼎元年(B.C.116)自ら正使となって、再度西域に使した。烏孫が匈奴の威を憚って応じないため、目的は達しなかったが、貿易使節として各国に派遣した彼の部下は、彼の死後、夫々の国の貿易使節を伴って帰国し、ここに初めて公の東西交通が始まった。 [もっと詳しく..]
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