敦煌莫高窟南区の洞窟風景。東北隅の大泉河東岸、現在の莫高山荘・駐車場から西南方向を撮影。この時、大泉河は凍り閉ざされ、広々とした河の表面は氷で覆われていることにより、冬季であるこることが明らかである。ぺリオは、1908年2月25日に莫高窟に到着し、5月30日まで敦煌で調査を行った。それゆえ、この写真は、彼らが敦煌に到着したばかりの時に撮影したもので、大泉河が凍てついた、2月、正に冬の莫高窟である。大泉河は広々として、水も非常に豊富であり、このような広大な氷面は、現在の莫高窟では、とうの昔から見られない美しい景色である。この写真より、当時の莫高窟南区の洞窟の最下層は河に近く、河の水平面は最下層の洞窟よりやや低かったことがわかる。歴史学の文献記載によると、歴史上の大泉河は水がとても多く、時折洪水が起こり、それにより、洞窟はよく水に浸る状況が発生していた。現在の大泉河河床は人為的に東に移動させたことにより、洞窟からやや離れ、自然と河床は以前ほど広くなくなった。