ヒヴァは、ウズベキスタン西部ホレズム州に位置する古代都市の1つで、”東洋の中世建築の真珠”とも呼ばれているところです。また、現在のホレズム州の州都であるウルゲンチの25km南に位置しています。
伝説によると、ヒヴァの街の誕生はノアの息子によるものであったと言われています。ノアの息子であるセムが、砂漠の中心部に井戸を掘った時、その水を飲んだ人々が「甘い水」を意味する言葉“Khey-vakh(ヒワック!)”と叫んだそうです。これがヒヴァという街の名の由来です。その後、商人が頻繁に訪れるようになり、砂漠を行き交うキャラバンの目的地となっていきました。
そして1000年後には、複数の部族が住み着き、アムダリヤ川を利用した灌漑農業が行われるようになります。
考古学者によると、ヒヴァは紀元前5~4世紀にシルクロード上の主要な街として作られ、交易の場として知られるようになります。
文献の記述としてヒヴァが最初に登場するのは10世紀頃に書かれたもので、アラブの旅行家、アル・イスタルヒーによると、ヒヴァはホレズム州の主要30都市の1つである、と記されています。また、アラブの地理学者イブン・バットゥータは14世紀にヒヴァを訪れ、法や規律が厳守されている様は賞賛に値するものであり、街は行き交うことが困難なほどに人であふれ栄えている、と伝えています。
ヒヴァはヘイカニック運河(現在のパルバンヤップ運河)につながるアムダリヤ 川に面し、その恵を受けてきました。
貿易や街の生活はとても栄えていましたが、突如、チンギス・ハーンのモンゴル帝国により破壊されてしまいます。しかし、ヒヴァは再び独立し、その後数世紀にわたり発展し続けました。主要な建造物は再建され、さまざまな優れた製品を生産し、シルクロード上の交易において重要な役割を担い続けました。
そして16世紀初頭、ヒヴァを首都とするヒヴァ・ハーン国が誕生します(ウズベク・ハーン国)。
ヒヴァの主要な大規模建築のプロジェクトが始まり、周辺地域における中心的な街として発展して行きます。しかしその発展も、イランの支配者ナディル・シャーの侵攻により、1740年に終焉を迎えます。街は完全に破壊され、国は軍の居留地となり、その後トルクメン人による権力支配が数年続きますが、長い戦争の後、最終的にはヒヴァ・ハーン国のクングラード王朝が、1920年まで統治することになります。
19世紀にヒヴァの街は2つに分割されます。10メートルの高さの城壁で囲まれたイチャンカラ(城壁の内側の街)とディシャンカラ(外側の街)とになり、同時に街全体は複数の居住地や村に囲まれる形となりました。
イチャンカラは高さ6~8メートル、厚さ6~7メートル、長さ2.2キロメートルの城壁で囲まれた街で、ヒヴァの26ヘクタールのエリアを占めています。城壁は中央アジアの他の要塞同様、日干しレンガで作られています。城壁は何度も破壊されましたが、常に再建され続けてきました。
650メートル×400メートルの長方形をしたイチャンカラの城壁には外界に向けた四方それぞれに門が作られています。
イチャンカラはヒヴァ・ハーン国の宮殿のためのエリアであり、高級官僚、聖職者、裕福な商人等が住んでいました。一般の人々や商人、職人達はディシャンカラ(イチャンカラの外側のエリア)に住んでいました。
ディ シャンカラ(外側の市街地)は1842年、アラクリ・ハーンの命令で200,000の市民のボランティアの手によって30日間で建造されたと言われています。ヒヴァ・ハーン国の市民は12日間無償で国のために働かねばならず、それがビギャルと呼ばれる税金の一部となっていました。
著名なヒヴァの歴史家アギャーヒーは、この建設がアラクリ・ハーンによるものである事を著述しています。
外側の市街地は6.2キロメートルの長い城壁で囲まれ、 以下の10のゲートが設置されていました。
ハザラスプ(別称コイ・ダルバザ)、ピシュキャニック、アンギャリック、シフラ、タザバーグ、シャヒマルダン、 ダシュヤック、ゲダイラル、コシャダルバザ、ギャンディミヤ。
また、王室が夏を過ごすためのいくつかの別荘や庭園もありました。
外側の城壁が造られた後は、街が2つの要塞へと分けられ機能していたことになります。
1920年代にはイチャンカラに33の居住地、ディシャンカラに34の居住地があり、それぞれの土地の工芸品を表す独自の名前がついていました。市街地には109の通り、79のモスク、120のコーラン(イスラム教)の学校、64のメドレセ(学校)がありました。
対外的には、ヒヴァは2つの巨大国家である中国とローマを結ぶシルクロードの重要拠点であり続けました。
現在では、ヒヴァの古い建造物はイチャンカラ州立博物館となり、市街地は1990年にユネスコの世界遺産に登録されました。市街地には54の歴史的な建造物があり、旧市街となったイチャンカラの現在の人口は2600名、360の世帯があります。そしてヒヴァ・イチャンカラ州立博物館には3000年以上の歴史をもつ、 40000点もの貴重な遺産が展示されています。