ホレズムの民族衣装

民族衣装からは、その民族の歴史や文化、他民族との交流をも見て取ることができます。当時の道具や文化遺産の中における、民族的な特徴を見出す手がかりにもなります。

民族衣装には習慣や人々の社会的なつながり、思想や信仰の元となるもの、そして品位や民族間の違いなどが反映されます。その他にも、人生の節目や生誕の地、時代、当時の雰囲気、そして、祝福や悲しみを示すものとも言えるでしょう。

ヒヴァにおける民族衣装の収集は、古いもので19世紀後半~20世紀初頭にさかのぼります。しかし、普段の生活に利用されていたものなどは、現代には残されていません。 衣服の様式自体は類似していても、生地やデザインは地域ごとに異なっていたようです。(信仰上重要なものなどは、世代を超えて受け継がれています) 職人や農民、聖職者といった職業によっても衣服が違っていたため、外見で見分ける事が出来ました。また、性別や年齢によっても服装が異なり、さらに結婚式や少年の割礼、葬儀、祭典時用の衣装もありました。

ホラズムにおける綿製品などの繊維産業は19世紀前半に急速に発展し、絹繊維工場が27件、ウズベキスタンの伝統的なコート工場が45件、皮製品工場が28件、染料工場が72件、靴工場が50件、そして宝石工場が20件と、盛んに生産されていました。

農民は主に綿や絹を生産し、職人に販売します。そして職人は、ボズ(綿製品)やアルチャと呼ばれる織物として仕上げ、地域の市場に販売します。 また織物を仕上げる過程において、染料が重要な役割を担っています。専門の染料職人の手によって、織物は様々な色に染められ、市場に販売されます。そして人々はその織物を利用して、生活に適した衣服を作っていくことになります。

職人たちは、中国産の絹を使い、インドやイランの染料を利用して製品を生産していました。 特に貴族は、地元の製品を使うだけでなく、輸入された中国製の孔雀製の製品や、イラン・ロシア・トルコの絹製地図、アドラス(絹や綿)、ザルバフ(金繊維)、色づけられたキムハーブ(ビロードの一種)などを好んで購入しました。女性貴族は日本のビロードで作られた帽子を特に好み、また、ロシア製の花があしらわれた布地や、アゼルバイジャン製スカーフなどを好んで使用していました。

ヒヴァでは、99の織物工場で180人以上の職人が働いていました。 国内市場では、様々な織物の製品が輸入・取引され、例えばウズベキスタンで、チャパンと呼ばれる冬物コートは5000着がヒヴァで生産されていました。

現代のウズベキスタン、特に都市部では多くの人々の服装は西欧風ですが、一部に伝統的な要素も見受けられます。 例えば、地方での民族的な式典では伝統的な衣装を目にすることが出来ます。今日でも、金の刺繍が施されたガウンや、金銀が織り込まれたターバンなどは、結婚式に参列する男性にとって不可欠なものとなっています。

ヒヴァの織物

織物の技術は、人類史上、最古の技術のひとつであり、その歴史は、石器時代に遡ることができます。

実際に、考古学者によって、ヒヴァのような古代の居住地から、古い織物の一部が発掘されています。織物は数世紀にわたって手作業で行われていましたが、やがて専用の機織り用の機械が発明され、絹や綿などの素材から様々な織物が生まれていきました。現在私たちは、古い時代の探検家の記録や、歴史学者、歴史的書物の中で、中世の時代からの織物の歴史や情報を知ることができます。

織物には地域性があり、使用する素材や模様編は、地域ごとに様々な特徴を持っています。

歴史的には、綿や絹、羊毛が多く用いられ、その他亜麻や麻など、また木や植物も利用されてきました。しかし、絹製品は非常に価値があるものとして、シルクロードを通じて世界中に広められていきました。

織物は、日常生活に利用するものと、販売目的に作るものとに分けられます。定住民と遊牧民とでは織物を生産する目的が異なるのです。

ホレズムの人々は、販売するためにボズと呼ばれる綿製の織物やアラチャ(木綿織物)、ショイー(絹織物)、アドラス(半絹織物)、などを主に生産してきました。

綿織物のボズは、特に低所得者層を中心に至る所で利用されていましたが、絹製品のアドラスやショイーは貴重品として、高価な衣服を縫う際に利用されていました。

ヒヴァのイチャンカラ博物館には、18-19世紀の貴重な展示品が数多く展示されています。それは織物の技術が数千年にわたり、この地で発展を遂げてきたことを証明するものであります。

そして、専門の職人の技術は芸術の域にまで高められたと言えるでしょう。ホレズムの職人達は白や赤、青、緑などを織物に用い、自然の染料のみを利用して他の芸術品同様の装飾を施したのです。

織物として生産されるものは、ズボンやコート、帽子、ベルト、女性のドレスやカーペットなど、普段利用するもので多岐にわたっていました。ホレズムにおいて織物の色やデザインは、階級や性別などを示すものであり、例えば、男性は綿織物や銀、女性は絹や金から作られた衣服のみを着用するなどの習慣がありました。

ホレズムは、中央アジアにおける織物の中心地でもあり、現在もアジアやヨーロッパの市場に製品が流通しています。特に手作りのシルクカーペットはホレズムにおける貴重な絹製品として、今なお重要な役割を担っています。