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2.古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化柘植元一(東京藝術大学名誉教授)

2-1 メソポタミア

 シルクロードの音楽文化の淵源の一つは古代オリエントのメソポタミアである。メソポタミアの音楽にかかわる最古の証しは前5千年紀にさかのぼる。この時代のものとされる骨笛が出土しているからである。

2-1-1シュメール

 前4千年紀には最古の都市文明といわれるシュメール人の社会生活の場がつくりだされていた。ここでは儀礼に音楽が伴っていた。その証しはウルク第四期の粘土板文書で、そこに刻まれた絵文字の一つが明らかに弓形ハープ をかたどっている。この楽器の図像は複数の奉納板に描かれていて、楽器のみならず奏者も描かれているので、その奏法もほぼ分かる。

 前3千年紀の初期王朝時代のウルの王墓(前2600)から楽器の実物が発掘された。二張の弓形ハープ、八台の牛頭の飾りをもつリラ、八本の銀製の管の断片(その中には明らかに指孔をうがったものもある)、そして一台の舟底形共鳴胴をもつリラと青銅のシンバルの残欠などである。ハープとリラの一部は復元されてロンドンの大英博物館(「王妃のハープ」「王妃のリラ」と名づけられている)や、フィラデルフィアのペンシルヴァニア大学博物館、そしてバグダードのイラク博物館に展示されている。きらびやかな装飾がほどこされた見事な楽器であり、奏楽がいかに重要な役割を担っていたか想像される。楽器は単に奏楽のみならず、祭祀のための法器でもあった。王墓からは何十人もの殉死者の遺骨が発見され、その中の数人は息絶えるまで楽器を奏でつづけていた。

 アッカド王朝期(前3千年紀後半)になると細長い棹をもつリュート(長棹〈ちょうとう〉リュート)が出現する。このタイプのリュートは後にタンブールやドタールやサーズなど、西アジアと中央アジアでひろく用いられるようになった弦鳴楽器の祖先である。

 前2千年紀になると弓形ハープが姿を消して、角型(かくがた)ハープがこれにとって代わるようになる。角型ハープ(共鳴胴とこれに差し込まれた腕木とが直角をなす)には水平に構えるものと垂直に構えるものとの二種類があった。前者は右手にもった棒状の撥で掻き鳴らされた。左手は弦を押さえて響きを止めた。後者は両手の指で掻き鳴らされた。これこそ正倉院にその残欠が保存されている箜篌の祖先である。

 シュメール語で書かれた叙事詩『ギルガメシュ』の一部は楔形文字で記された粘土板12枚に残されている。叙事詩の成立は前4千年紀半ば頃と推定されている。粘土板文書は楽譜の一種ともみなされる。文字の傍らに記された楔形文字がその唱え方の指示であり、叙事詩や賛歌の文字の脇に歌の形式やジャンルや音楽構造を示す楽語が現れるからである。当時のリラの九本の弦にそれぞれ名前がつけられ調弦法が記されていた。弦の長さと音高との対応関係や、音階における音程の比例関係もすでに知られていたことから、少なくとも前1千年紀には音階理論が整備されていた。古代メソポタミアの音組織は五度連鎖から得られる七音音階にもとづいていたことが判明している。今日われわれが音楽と呼んでいるところの芸能にかなり近い形式が存在していたである。ただし、「音楽」そのものをさし示す単語が古代メソポタミアに存在したかどうかは確認されていない。

2-1-2 アッシリア

 アッシリア帝国の基礎はチグリス河上流のアシュールを中心に、前14世紀中頃アシュールウバリト一世によって築かれた。前1100年頃に征服事業が再開され版図は大きく拡大された。アシュールナシルパル二世(在位前883-859)とその後継者はニネヴェをその都とした。王の宮殿跡からこの時代の楽器の遺物が多く発掘されている。

 とりわけ、ニムルド遺跡から大量の楽器が発見されている。大英博物館にはアッシリア時代の青銅製の鐘(鈴)が百個ほどある。鐘は元来、悪霊を祓うための音具であり祭祀に用いられ神殿に奉納された。また、馬の首にもつけられ装飾にも用いられた。ほかに青銅製のシンバルや貝製のカスタネットの類も出土している。

 センナケリブ王(前704-681)のニネヴェ宮殿の浮彫には、祭礼の行列を先導する楽師の一団が描かれているが、ここにも男性楽師が奏でる水平式の角型ハープが描かれている。ほかに、枠太鼓やシンバルが描かれているが、これらは女性が奏でている。同じくニネヴェ宮殿のアシュールバニパル王(在位前668-627)の饗宴の浮彫には、垂直式角型ハープや五弦のリラやアウロス(双管葦笛)などが描かれていて、当時の宮廷音楽の華やかさを偲ばせる。

2-2 古代イラン

2-2-1エラム

 古代イランでも早くから弓形ハープが儀礼に用いられていた。チョガ・ミシュ出土の円筒印章(前3200年頃)にこれを奏でる楽師が描かれているので、古代メソポタミアと類似した文化を分かちあっていたと想像される。しかも、それよりわずかながら古い。

 イラン高原は紀元2700年頃より非イラン系のエラム人が支配していた。そのエラム人の音楽の一端をかいま見せる図像資料がいくつか存在する。一つは、ザグロス山脈の南西にあるクーレ・ファラの摩崖浮彫(前八世紀ないし七世紀)である。そこには垂直式および水平式の二種類の角型ハープと枠太鼓を奏でる楽師が描かれている。もう一つは、アッシリアのニネヴェ宮殿の壁面彫刻(前650頃)である。アシュールバニパル王がマダクトゥでエラム軍を制覇した際の祝賀の図で、そこには集団脱出するエラムの楽師や手拍子を打ちながら歌う女性や子供たちの行列が描かれている(大英博物館蔵)。楽師が奏でているのは垂直式と水平式の二種類の角型ハープやアウロス(双管葦笛)である。

 前3千年紀のスーサの遺跡からは長棹リュートを奏でるテラコッタの小さな人物像(多くは裸の男性)がいくつも出土している。メソポタミアのアッカド時代のものに対応する。これらは鋳型で大量生産され神殿に奉納されたらしい。

2-2-2アケメネス朝ペルシア

 アケメネス朝(紀元前550~330)のペルシア音楽に関しては記録がほとんど残されていない。したがって、ヘロドトスやクセノフォンやアテナイオスらがギリシア語で書いた記述などから、当時の音楽を憶測するほかない。ヘロドトスはその『歴史』の中で、ペルシア人は神に捧げ物をするとき祭壇も作らなければ火も焚かず、神酒も供えずアウロスも吹かない、と書いている(巻1、132)。

 アテナイオスは『食卓の賢人達』の中で、ダリウス三世の宮殿に329人の歌女がいたことに言及している(巻13、608)。またアンナロスというバビロニアの総督の食卓には150人の歌女が侍って楽器を奏でたと言う(巻12, 530)。クセノポンも『キュロスの教育』の中で、アケメネス朝ペルシアの宮廷における大勢の歌女について記している(巻4、vi, 11; 巻5、v, 2; 巻5、v.39)。

2-2-3バクトリア

 バクトリアの首都テルメズ近郊のアイルタム(ウズベキスタン)の仏教遺跡から後2世紀頃のものと推定されるフリーズの浮彫が出土した。チャング(垂直式角型ハープ)とバルバト(四弦リュート)と樽型両面太鼓を奏でる楽師像が描かれている。チャングとバルバトは女性が、太鼓は男性が奏でている。現在サンクトペテルブルグのエルミタージュ博物館に所蔵されている。アカンサスの葉の間に楽人の胸像がのぞいているような特徴的な図像である。さらに、同じフリーズの浮彫にアウロスを吹く男性楽師を描いた浮彫も見られる。クシャン時代のバクトリア美術の特徴として「東西文化の創造的綜合」が指摘される(V. Masson 著加藤九祚訳「埋もれたシルクロード」)が、これは音楽についても言えよう。

 バクトリア=マルギアナ地域の考古学的出土品として、前2200-1750頃のものと推定される青銅製または金・銀製の短いトランペットがいくつか報告されている。長さは6センチから12センチ余までさまざまだが、管の直径は1センチほどである。多くの管が吹口と朝顔の間に人面彫刻ないし球根状のふくらみをもっているのが特徴的である。奏者は人面の頭頂からのびた吹き口から息を吹き込む。このトランペットの用途は不明だが、ゾロアスター教の神話に出てくる「黄金のトランペット」と関係があるかも知れない。

2-2-4アルサケス朝パルティア

 前3世紀半ばから後3世紀前半にかけて、パルティア王国がアフガニスタン東部を含むイラン高原からメソポタミアにかけてその版図におさめていた。ギリシアの影響を濃厚に受けた王朝であったが、支配的な宗教はゾロアスター教であった。ゴーサーンgōsānと呼ばれる吟遊詩人が歌った英雄叙事詩の伝統が重要な地位を占めた(プルタルコス『クラッスス』)。この伝統が後のササン朝ペルシアを経てフェルドゥスィーの『シャーナーメ』に継承されたと考えられる。楽器はギリシアとローマの影響を示すものが多く、リラ、アウロス、パンパイプス、トランペット、リュート、そして垂直式角型ハープなどがあった。『史記』大苑列伝と『漢書』西域伝は、武帝がパルティア(安息)に遣わした使者にパルティア王は使節を随伴させ、駝鳥の卵とアレクサンドリア(黎軒)の曲芸師(善眩人)を献じたと記している。

2-3 ササン朝ペルシア

 後226年にパルティアを滅ぼしたアルダシール一世がササン朝ペルシアを建てた。彼はアケメネス朝のアルタクセルクセス三世の血をひいていたが、この王朝はゾロアスター教を国教として採用した。ゾロアスター教の祭司は支配階級の中でもっとも高い地位が与えられたが、楽師や曲芸師にも廷臣の位を授けられたことは注目にあたいする。

 ササン朝第十五代の王バハラーム五世(在位421~39)は「グール狩りの名人バハラーム」という愛称で知られている。この王は楽師を廷臣の中でも最高の地位に引き上げたことと、インドから一万余人の歌舞音曲の巧みな芸人を招いてイランに住まわせたという伝説で知られている。これはフェルドウスィーの『王書』の中に詠われている。これら芸人はイランのロル族の祖先であるとされるが、彼らこそロマ(いわゆるジプシー)の先祖だという説もひろく通行している。

 馬上で弓に矢をつがえてグールを狩るバハラームの像は画家が好んで描いた図像だが、バハラームはしばしば寵愛した女性の楽人アーザーデを伴っている。アーザーデはつねにチャングchangを手にしている。チャングとはハープを意味するペルシア語で、漢人はこれを「箜篌」と呼んだ。日本では箜篌(くご)と呼び、別に「百済琴(くだらごと)」とも呼んだ。これは正倉院に残欠が二張残されている箜篌と同類の楽器で、垂直式角型ハープの一種である。

 ササン朝の楽師として、バールバド、サルカシュ、ナキーサー(ニキーシャとも)、ラームティーンの名がよく知られている。とりわけバールバドは詩人として著名であった。彼がホスロー二世(パルヴィーズ、在位591~628)の宮廷楽師として採用された経緯はフェルドゥスィーの『シャーナーメ』に記されている。バールバドは王のために三十のラハン(旋律型)と三百六十曲の歌を作ったと伝えられる。これは当時すでに存在していた七つの旋法を基礎にしていた。これらの旋法は後に「ダストガー」あるいは「マカーム」として西アジアの音楽の基礎となった。ちなみに、この七とか三十とか三百六十という数字は一週間の日数、一月の日数、そして一年の日数であり、当時の音楽は暦や占星術と密接にかかわりをもっていた。

2-4 ササン朝ペルシアの楽器の東漸

 ササン朝ペルシア帝国の領土は広大で、東はアムダリア(オクサス川)から西はアナトリア半島に及んだ。つまり、東西を結ぶ交易路の大半を支配した。したがって、ササン朝の音楽文化もこのシルクロード全域に広がったと考えられる。

 大谷探検隊が将来した新疆ウイグル自治区のクチャ(スバシ遺跡)出土の舎利容器は現在東京国立博物館にある。6世紀末から7世紀初めのものと推定されるが、この蓋の表面の四つの連珠文の中の有翼天使が奏でているのは、ササン朝の楽器である。ネイ(葦の竪笛)、チャング(垂直式角型ハープ)、バルバト(曲頚四弦琵琶)および「五弦」(直頚五弦琵琶)である。注目すべきことは、ここにササン朝ペルシアの楽器に加えて、インド起源とされる直頚五弦琵琶が描かれていることである。

 この「五弦」は弦の数や頚部(棹)の形状や弦を指でじかに掻き鳴らすなど、ペルシアのバルバトとはいくつかの点で異なる。これがインド起源の楽器と考えられるゆえんである。つまり、この舎利容器には二つの異なるタイプの琵琶が、弦数から頚部の形状や撥の有無にいたるまではっきりと描き分けられているのである。さらに興味深いことに、この二種類の琵琶を奏でるのは肌の色の黒い童子であり、チャングとネイの奏者が肌の白い有翼天使であるのと対照的である。これはかつてガンダーラで栄えた仏教音楽の痕跡である。楽器から見るかぎり、この東トルキスタンの地にはペルシアとインドの二つの様式の音楽が平行して行われていた。

 この舎利容器の身の側面には21人の楽人と舞人が描かれている。楽器はササン朝ペルシアのチャングとナーイェ・ロウイーンをはじめ、二人の童子に荷われた大きな樽形の両面太鼓が描かれている。太鼓は二本の桴で打たれている。

 このようなササン朝ペルシアの楽器のいくつかは東漸して、はるばる日本にまで到達した。その代表的なものがチャングで、この垂直式角型ハープは中国で竪箜篌、日本では百済琴(くだらごと)の名で知られるようになった。もう一つはバルバトで、これは中国で「ピパ」と呼ばれ、この曲頚琵琶はわが国に雅楽の楽器として伝来し名称もそのまま琵琶(「びわのこと」)と呼ばれた。

 同じく、大谷探検隊の将来品の一つ「衆人奏楽図」(9世紀。東京国立博物館蔵)は、トゥルファンのベゼクリク石窟第33窟から採取された壁画である。ここにもササン朝ペルシアの楽器がいくつか見える。リードパイプ(篳篥の祖先と思われる)、長棹リュート(曲弾きをしている)、シンバル、横笛、太鼓などで、これらの大半は西アジアから東漸したものと考えられる。楽人たちは深目高鼻、巻髪緑眼、そして紫髯をたくわえており胡人の奏楽のさまを彷彿とさせる。

目次 

  1. 総論
  2. 古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化
  3. 古代インドの音楽と楽器
  4. 胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽
  5. 日本と朝鮮に及んだシルクロード音楽文化
  6. 南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム
  7. イスラーム全盛期の西アジアおよび中央アジアの音楽
  8. ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に
  9. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズ
  10. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:トルクメニスタン
  11. 近代西アジアの音楽とヨーロッパ音楽との交渉:トルコを中心に
  12. 環地中海の音楽文化とシルクロード:古代ギリシアとローマ
  13. 環地中海の音楽文化とシルクロード: 近代ギリシアとオスマン・トルコ
  14. 環地中海の音楽文化とシルクロード:イタリアとオスマン・トルコ
  15. 環地中海の音楽文化とシルクロード:セファルド系ユダヤ人音楽家の活動
  16. シルクロード探検史に見る音楽資料
  17. ワールドミュージックとしての新しい「シルクロード音楽」の創出

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