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6.南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム丸山洋司、サワン・ジョシ、アブドゥール・ラーマン

6-1 南アジアにおけるヒンドゥーとスーフィー

 南アジアは、シルクロードの中南部に位置する地域であり、東西の文化交流が盛んだった。このような文化交流の歴史は、今日南アジアの人々が信仰する宗教の多様性にもあらわれている。南アジアで最も古くから、最も多くの人々が信仰してきた宗教はヒンドゥー教である。しかし南アジアには、十二世紀末頃に西方からシルクロードを経て伝来したスーフィズムを信仰する人々もいる。本稿では、この二つの宗教と音楽との結びつきについて見ていきたい。

 今日南アジアの総人口の約六割、中でもとりわけインドの総人口の約八割を占めるのはヒンドゥー教徒である。古来ヒンドゥー教徒にとって、音楽は神に対する信仰表現として欠かせないものであった。古いヒンドゥー寺院には、楽器を奏でる楽師たちの像が残っている。また今日のヒンドゥー寺院も、歌唱や奏楽に満ちている。

 ヒンドゥー教徒の割合が比較的に多い南アジアであるが、現在は総人口の約四分の一をムスリムが占めている。イスラーム勢力がこれほどまで拡大した背景には、アラブ民族・トルコ・アフガン系民族の軍事的征服と支配の歴史、海洋貿易に訪れたペルシア人やアラブ人のムスリムたちの居留といった要因とともに、スーフィーsūfīとよばれるイスラーム神秘主義(スーフィズム)を信仰する人々の宗教活動がある。教義上音楽を好ましいものとみなさない正統イスラームとは異なり、スーフィズムを信仰する人々は、音楽や舞踊を宗教的な修行の一部とみなしている。このような考え方は、もともと音楽を信仰表現として重視するヒンドゥー教徒にも受け入れやすく、彼らの一部がイスラームに改宗したことがムスリム人口の増大につながったと考えられる。

6-2 ヒンドゥー教とは

 ヒンドゥー教は、特定の教祖によって創始されたものではなく、南アジアの人々がインド亜大陸の自然との共生を図る中で生み出した、儀礼や社会習慣の集合体である。つまり、ヒンドゥー教には、特定の個人によって意識された信仰の体系というよりは、むしろ、宗教的な自然観に基づく社会習慣としての性格がある。教祖が存在しないため、あらゆる信者の倫理的な意識を厳格に規定する教義が存在しない。また各地域に存在する山や川が神格化されることによって、地域色豊かな信仰が芽生えた。

 ヒンドゥー教はバラモン教を基盤としている。バラモン教は、ブッダによって仏教が開かれる以前、紀元前十世紀から七世紀頃にかけてバラモン階級の人々がひろめた宗教である。彼らが聖典として崇めたのがヴェーダVedaと呼ばれる聖句である。ヒンドゥー教は、このヴェーダを根本聖典として崇める宗教である点でバラモン教と共通する。しかしヒンドゥー教は、紀元前六世紀から五世紀頃に成立した仏教や南アジアの様々な地域に土着の民間信仰などの影響を受けて変化している点でバラモン教とは異なっている。

 なお「ヒンドゥー」という呼称は古代から存在したわけではなく、十三世紀以降イスラーム教徒がインド亜大陸に侵入したときに、自分たちと宗教を異にする人々を指すために創り出したものである。「ヒンドゥー」とは、もともと今日のパキスタンを流れるインダス川の名称に起源を持つペルシア語であり、「インダス川の流域の人々」を意味した。

6-3 ヒンドゥー教徒と音楽

 古来ヒンドゥー教は音楽と深く結びついた宗教であった。そのような宗教と音楽との結びつきは、紀元前に作られたと考えられるヴェーダVedaの聖句のなかに見出される。ヴェーダはアーリア人の宗教知識を集大成したインド最古の文献群であり、紀元前1000年頃から紀元前600年頃に、付随文献も含めてほぼ成立したとされている。その後ヴェーダは師から弟子へと数千年間、口頭で伝承されてきた。

 ヴェーダは『リグ・ヴェーダRigveda』、『サーマ・ヴェーダSāmaveda』、『ヤジュル・ヴェーダYajurveda』、『アタルヴァ・ヴェーダAtharvaveda』と呼ばれる四つの部分に分かれる〔第3章参照〕。四つの中で『サーマ・ヴェーダ』はもっとも音楽的である。『サーマ・ヴェーダ』はサンスクリット語による真理の賛歌であり、現在のインド古典音楽の起源であると考えられてもいる。また、これらのヴェーダに含まれている神話の中で、ガンダルヴァたちはインドラ(雨の神)の宮廷音楽家である。また、ヒンドゥー教でシヴァ神とサラスヴァティー(弁財天)は音楽の師ともいわれている。古代に制作された彫像に、シヴァ神はダマルと呼ばれる太鼓、サラスヴァティーはヴィーナーと呼ばれる弦楽器を演奏する姿で表されている。現在もインドやネパールで音楽を学び始めるときに、これらの神々に礼拝する習慣がある。

 ヒンドゥー教と音楽との結びつきをより強めたのが、8世紀以降に興ったバクティ運動である。バクティとは、全身全霊で神への絶対的帰依を表現することである。バクティを重視する聖者たちは、このように神に身を委ねることによってのみ、人は神の恩寵を得て救われると説いた。バクティ運動の主たる担い手になったのが、ヴィシュヌ派の信徒達だった。当時バクティを信仰した聖者たちとしては、スールダースSūrdās、ハリダースHaridās、ミーラーバーイーMīrābāī、カビールKabīrなどがあげられる。彼らが作ったバジャンbhajanと呼ばれるヒンドゥー教の賛歌は、後世の人々に口頭で伝えられてきた。

  今日バジャンは南アジアの様々な地域の寺院や宗教的な集いで歌われている。バジャンの唱和は神への礼拝のひとつであり、人と神が一体となるための修行の一つと考えられている。最近ヒンドゥー教の有名な聖者であるサイババの名を冠したサイ・ケンドラSai Kendraがインドやネパールの各地に設立されたが、そこでもヒンドゥー教の様々な神々を讃えるバジャンが、訪れた人々によって集団で歌われている。【図1】

 音楽的にみると、バジャンの歌唱には一定の様式がない。ごく一般の信者たちが歌う場合には、短い歌詞に節をつけて繰り返すキールタンkīrtan様式が多い。寺院で歌う僧侶の中には、複雑な装飾法やリズム構造を持つドゥルパッドdhurpad様式やダマールdhamār様式による歌唱を身につけている者もいる。また、古典声楽の音楽会の最後に、神に対する祈りの意味をこめて、声楽家が細かい装飾法を駆使してバジャンを歌うこともある。



【図1】ヒンドゥー寺院でバジャンを歌う様子(ネパール・カトマンドゥ)

6-4 スーフィズムとは

 スーフィズムという語は、初期のイスラームの神秘主義思想家たちが、スンナ派の律法主義・形式主義への批判から、現世的虚飾を放棄した印として粗末な羊毛の衣(スーフsūf)を身にまとったことに由来するといわれている。この神秘主義思想家たちは、後にスーフィーと呼ばれるようになった。彼らは、神と人間との内的なつながりを仮定し、強い愛の力による両者の隔たりの消滅(ファナーfanā’)を目指した。そして、ファナーの境地にいたったスーフィーは、霊知(マアリファma‘rifa)と真理(ハキーカhaqīqa)と呼ばれる一段高いレベルの意識を永続的に得ることができると考えた。

 八世紀頃の初期のイスラーム神秘主義者は、人里離れた荒野の庵や、山中の洞窟などにこもって隠遁生活をしながら、神秘的修行を行った。実際に神秘的合一を達成したスーフィーが現れると、彼らはピールと呼ばれる聖者となり、彼らの周りに信者たちが集まってきた。そのような聖者を指導者として崇めながら修業を行うスーフィー教団(タリーカtarīka)が組織されるようになり、これらの教団がスーフィズムの布教活動を行った。

 タリーカは十二世紀頃からイラクをはじめとして盛んに結成されるようになり、その勢力は十三世紀には北アフリカ、中央アジアなどにも及んだ。南アジアにスーフィーの思想や文化が伝えられたのも、これらのタリーカの活動を通じてであった。特にデリー・スルタナット朝期とムガル朝期に北インドにおいて最も大きな影響力を持っていたのがチシュティー教団Chishtīであった。この教団は十二世紀にアフガニスタンで創設されたといわれるが、十二世紀末に現在のインド・ラージャスターン州アジュメールに道場を開いた。チシュティー教団は今日でも、南アジアで最大のスーフィー教団である。

6-5 スーフィーと音楽

 スーフィーにとって音楽は神との合一を果たすための修行の一部である。このようにムスリムであるにもかかわらず、音楽や踊りを高く評価する考え方を初めて明示したのは、ペルシアの詩人ジャラールッディン・ルーミーJalāl al-Dīn al-Rūmīである。彼がトルコで創始したメヴレヴィー教団Mevlevilikは、音楽に合わせて旋回するセマーsemâ’と呼ばれる舞踊を、修行の一環として取り入れている。

 南アジアのムスリムたちはカッワーリーと呼ばれる宗教音楽を行う。これは楽器を伴って、集団で神秘詩をウルドゥー語で歌うものであるが、ここで歌われる詩のレパートリーにはルーミーの詩句が多く含まれている。伴奏に用いられる楽器は、タブラーと呼ばれる二つ一組の太鼓とドールと呼ばれる両面太鼓、さらにハルモニウムと呼ばれる鍵盤楽器【図2】である。

 音楽行為は、ズィクルと呼ばれる修行と結びつけて捉えられている。ズィクルとは一切の雑念を断ち切り、ひたすら神の名をくり返し唱え、精神を神に集中させることによってファナーにいたることを目指す行為である。唱えられる言葉としては、「アッラーに栄光あれ」あるいは「アッラーのほかに神はなし」などが一般的であるが、「あなたこそが王」といった王権を賛美する内容のものもある。歌唱者たちは、楽器にあわせてこれらの言葉に旋律やリズムを加え、しばしば手を打ち合わせながら歌う。

 もともとカッワーリーはダルガーdargāhとよばれる聖者廟で、宗教的な目的でパフォーマンスされてきた。しかし音楽としても魅力的であるため、近年はそのパフォーマンスの機会は宗教的な場に限られなくなってきている。普段聖者廟でパフォーマンスする集団の中で、音楽的なレベルが高い集団は、コンサート・ホールや野外に設けたイベント会場などでの演奏に招かれる。またカッワーリーのスタイルは、しばしば映画音楽やポップスにも用いられている。


【図2】ハルモニウムとタブラー


(参考文献)
竹下政孝「スーフィー」、日本イスラーム協会監修『新イスラーム事典』 東京:平凡社、2002年、300-302頁。
田中多佳子「カッワーリー ―南アジアのスーフィーの歌」、水野信男編『儀礼と音楽I』 東京:東京書籍、1986年、57-90頁。(民族音楽叢書4)
前田専学「ヒンドゥー教」、辛島昇編『新訂増補・南アジアを知る事典』 東京:平凡社、2002年、608-616頁。

目次 

  1. 総論
  2. 古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化
  3. 古代インドの音楽と楽器
  4. 胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽
  5. 日本と朝鮮に及んだシルクロード音楽文化
  6. 南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム
  7. イスラーム全盛期の西アジアおよび中央アジアの音楽
  8. ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に
  9. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズ
  10. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:トルクメニスタン
  11. 近代西アジアの音楽とヨーロッパ音楽との交渉:トルコを中心に
  12. 環地中海の音楽文化とシルクロード:古代ギリシアとローマ
  13. 環地中海の音楽文化とシルクロード: 近代ギリシアとオスマン・トルコ
  14. 環地中海の音楽文化とシルクロード:イタリアとオスマン・トルコ
  15. 環地中海の音楽文化とシルクロード:セファルド系ユダヤ人音楽家の活動
  16. シルクロード探検史に見る音楽資料
  17. ワールドミュージックとしての新しい「シルクロード音楽」の創出

執筆者一覧  

  • 柘植元一
  • 植村幸生
  • 濱崎友絵
  • 岡田恵美
  • 丸山洋司
  • サワン・ジョシ
  • アブドゥール・ラーマン 
  • 阿不都賽米・阿不都熱合曼(アブドセミ アブドラフマン)
  • ウメトバエワ・カリマン
  • 瀧 知也
  • 金光真理子
  • 佐藤文香
  • 三代真理子

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