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8.ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心にアブドセミ・アブドラフマン


 新疆ウイグル自治区は古代シルクロードの中心地とも言われている。この地域は中国の北西部に位置し、高原地帯とゴビ砂漠は厳しい自然環境を造っているため、人口過疎地帯となっている。古代ウイグル人はシャーマニズムを信仰し、佛教やマニ教も盛んであった。10世紀頃からイスラーム教が浸透し、この地にイスラーム教に基づく文化が形成された。新疆一帯はかつて「西域」とよばれていた。漢、唐、とりわけ唐代には新疆の舞踊や音楽が大量に中原に流入し、中原諸民族にも影響を与えた。

8-1 ウイグルの民間歌曲

 民間歌曲hӓliq nahshaは、いわゆる民謡を意味し、各オアシスによってその音楽様式に固有の特徴が見られる。ことにウイグルの民間歌曲の場合、音楽の専門的知識がないウイグル人でも、聴けばどの地域の民間歌曲かがおおよそ分かるとされる。民間歌曲は「叙情性民歌」と「歌舞性民歌」に大別され、前者は歌い手の感情を吐露するもの、後者は感情表現以外に踊りを伴い、リズムカルなものを歌ったものである。その内容として最も多いのは「恋愛歌」で、次いで花や水など自然を歌ったもの、家族を歌ったもの、労働歌、童謡、山歌、ダスタン、礼儀歌、子守唄などがある。ウイグルの民間歌曲は主に南新疆のロプノール、クチャ、アトシュ、カシュガル、ホータンと北新疆のイリ、東部ハミ地区とトルファン地区において盛んで、広く伝承されている。

8-2 ウイグルムカームの地域性

 ムカームmuqamはウイグルの叙事的組曲であり、伝統音楽の中の一ジャンルである。漢語では「木卡姆」の字を当てはめているが、この語は元来アラビア語の「マカーム maqām」に由来する。

 ムカームにはいくつかの意味があるが、現代ウイグル語では「系統的に集められた一つの体系」つまり、「整えられた音楽の集大成(組曲)」を指す特別の用語である。単に、旋法と言うより、音楽の体系と言う意味である。ムカームは様々な地域で長期間にわたり、数多くのウイグル民衆芸術家、歌手、そして楽器奏者によって創作された民衆の音楽である。特に「十二ムカーム」は代表的なムカームとして、主にウイグル自治区の南部、とりわけカシュガルやホータンなどの地域に伝承されている。この他に各地域に伝承されている地域色の豊かなムカームも存在している。

8-2-1ドーラン・ムカーム

 ドーラン・ムカームは天山山脈以南に位置するタリム盆地のオアシス地帯に伝承されてきたムカームで、主に、メケット、マラリベシュ、アワット三箇所のみで伝承されている。

 メケットのドーラン・ムカームには以下の九つが数えられる。

① バシ・バヤワン、②オズハール・バヤワン、③ラク・バヤワン、④ムシャーヴァラク、⑤ボム・バヤワン、⑥ジュラ、⑦スム・バヤワン、⑧フデク・バヤワン、⑨ドガメト・バヤワン。

 上述のムカームは一般的に五つの歌から構成されている。それらは演唱される順番にムケッディメ(序曲)、チケトメ(点、リズムの意)、セネム(美しい恋人)、セリケ(興味、願望)、セリリマ(柔らかい)である。歌詞は短い四行詩のコシャクが歌われる。使用楽器はナグマ・ダプ、ドーラン・ギジャク、ドーラン・ラワープ、カルンである。ムケッディメを除いて、全曲を通して踊りがつけられる。

8-2-2トルファン・ムカーム

 トルファン・ムカームは主にトルファン地区のトルファン市、ピチャン(善善)県、トクスン県で伝承されている。十種類のムカームが数えられ、その順序は次の通りである。

①ラク・ムカーム、②ダルダク・ムカーム、③ムシャーヴァラク・ムカーム、④チャハールガー・ムカーム、⑤パンジガー・ムカーム、⑥オズハール・ムカーム、⑦エジャム・ムカーム、⑧オシャク・ムカーム、⑨バヤート・ムカーム、⑩ナヴァー・ムカーム

 トルファン・ムカームはダスタン、メシュレップという部分は含まず、ただチョン・ナグマの様式のみで構成される。それぞれのムカームは基本的にムケッディメ、テエゼ、ヌスカ、ジュラ、セネム、チョン・セリケ、ティキットなどの楽曲から構成されている。セネム部分はメシュレップとも呼ばれ、演奏者及び舞踊者がその場の気分や状況によって、ムカームを組み合わせて演奏するのは特徴である。トルファン・パンジガー・ムカームのセネム部分の終わりでナズルコムと言うユーモア(面白い)の舞踊と音楽が披露される。ここで様々な動物の模様や人形を模倣する。

 トルファン・ムカームは弦楽器(サタール、ダンブール、ラワープ)で演奏する以外に、ナグラとスナイという吹奏楽器で演奏するのは特徴である。

8-2-3 クムル・ムカーム

 クムル・ムカームは、新疆ウイグル自治区天山山脈の東側に位置するクムル地区に広く伝承されている。クムルは中国語で「哈密(ハミ)」と呼ばれているが、「伊吾(いう)」という古い呼び名もある。クムル・ムカーム(哈密)はクムル市、アルトルクなどの県、町に伝承されている。これら、地域色の濃い大規模な歌曲と歌舞曲であり、十二のムカームによって構成されている。

①チュンドゥル・ムカーム、②ウルックドゥル・ムカーム、③ムスタザット・ムカーム、④チャリガー・ムカーム、⑤ホップティ・ムカーム、⑥チャビアット・ムカーム、⑦ムシャヴラク・ムカーム、⑧オズハール・ムカーム、⑨ドガッハ・ムカーム、⑩ドーラン・ムカーム、⑪イラーク・ムカーム、⑫ラク・ムカーム

 以上のムカームは、今日「十二ムカーム」で見られるようなチョン・ナグマ、ダスタン、メシュレップ、とういう構造ではなく、最初に短い「ムケッディメ」部分がある。それから一連の地域的特色を持つ歌曲と歌舞曲が演奏される。「十二ムカーム」に見られる「メルグリ」間奏曲のような器楽の部分はなく、始めから終わりまで歌と踊りが一体となったものである。

 ムカームの中で六つのムカームの名称は「十二ムカーム」に見られるものと共通であるが、楽曲の特徴と言う点では「十二ムカーム」と異なっている。

 使用される楽器は、主にコムル・ギジャクとダプという2種類の楽器である。特に、コムル・ギジャクは中国の「二胡」に似ており、コムル地区に伝わっている最も古い擦弦楽器である。また、ダプに関して、他の地域ではほとんど男性がダプを担当するが、コムル・ムカームでは女性が担当することが多い。これがこの地域と大きく異なる出一の特徴である。

8-2-4 イリ・ムカーム

 イリ・ムカームはeli yӓrkӓnt muqamとも呼ばれている。歴史的に見れば、イリのヤッタスイyatasuという地域の古い伝統音楽文化は現在のイリ・ムカームの前身とも言われている。時間の経過とともに、この地域の音楽、舞踊、ダスタンは現在のイリ民謡、イリ・ムカームに形成された。「楽師史」によれば、十四世紀の後半のウイグル人詩人であるYusup Sakkakiは第十六楽師であり、イリで生まれ、音楽の才能を持っており、イリ音楽に貢献をしたと述べている。

 イリ・ムカームはダスタン・ナグマとメシュレップ・ナグマを中心に演奏し、チョン・ナグマ部分は演奏しないという独特な形になった。ムケデメを短く歌い、それによってダスタン部分をより長く歌う。また、家庭宴会や結婚式のお祝いで、場によってムカーム選んで短く演奏、或はそのまま全曲を演奏するのは可能である。歌詞は歴史的な詩人のガザルが歌われる。

 十二のイリ・ムカームは下記の通り。

①ラク、②チャッバヤート、③ムシャーヴァラク、④チャハールガー、⑤パンジガー、⑥オズハール、⑦アジャム、⑧オシャーク、⑨バヤート、⑩ナワー、⑪スィガー、⑫イラーク

8-3 ウイグルの「十二ムカーム」について

 ほとんどの地域で十二のムカームで構成されていることから「十二木卡姆」と呼ばれている。元来、口頭伝承で何世紀にもわたって伝えられて来たが、二十世紀になって文明の利器の助けを得て、音として保存され、採譜され、楽譜としても残されることになった。

 ウイグルムカームの歴史は1514年から1682年までこの地域を支配したヤルカンドハン国の宮廷音楽に溯る。この王朝は約170年近く西域南道の交通要所であったヤルカンドを中心に、今のキルギスタンとカザフスタンの一部分、パミール高原とイリまでの広い地域を統治していた。この王朝の創始者の名前から別名サイーデアハン王国とも呼ばれている。

 体系化されたウイグルのムカームの最初の記録は、十六世紀のスルタン・アブドリシット・ハンの時代のものである。この時代に、現在「十二ムカームの生みの親」としてしばしば語られるスルタンの妃アマンニサハンとその師匠ユスフ・カディルハンが、この体系化に貢献した。

 アマンニサハン(ネフイス)(1534-1567)は十六世紀のセイデハン王国の二代目の王、スルタン・アブドレシテハンの妻である。また詩人であり、書家でもある。彼女はタンブールの演奏に精通し、パンジガー・ムカームの奏演は絶賛された。スルタンは彼女の才能に魅了され、プロポーズしたと言われている。妃になった後、積極的にムカームに力を入れ、自ら作曲したイシレティ・アンギズィという曲を残した。さらにウイグルムカームの最初の規範化運動のリーダーの役割を果たした。また、『精美的詩篇shorul gulub』、『美麗的情操ählāqi jämiliyä』、などの著作を残した。これは後のウイグル文学に多大な影響を与えたのである。

 「十二ムカーム」の体系化は、十九世紀の後半のことである。カシュガルの音楽家エリムとセリム兄弟、ムハメット・モラ、ヤルカンドのセテワリディらが、従来のムカームにダスタン部分とメシレップ部分を加えることにより、現在のカシュガル・ムカームの形式の基礎を築いた。

 五十年代において、初めて新疆ウイグル自治区政府の財政的援助によってウイグルの古典音楽が収集され始めた。1950年8月、当時のウイグル文化庁は民間に実在していた十二ムカームを収集するため、民間の音楽家であるトルディ・アホン(1881~1956:写真)をヤルカンドからウルムチに招き、初めてカシュガル・ムカームを録音した。当時、トルディ・アホンは十二組のムカームを歌ったので、これを「十二ムカーム」と命名した。当時、清朝および国民党政権はウイグル人に対して差別的政策をとったので、ウイグル文化は根底から破壊される宿命にあった。十二ムカームも消滅寸前の危険な状態であった。何故なら、当時のウイグルには、十二ムカームを始めから終りまで全部歌える音楽家はトルディ・アホン一人以外に誰もいなかったからである。共産党政府が新疆を解放して、ウイグルの伝統音楽の保存が開始された。

トルディ・アホン氏(1881~1956)

 楽譜など見ることもなく、根幹をなす曲調と構成順序に従い、二十四時間、十二のムカームを歌い続けることのできるトルディ・アホンは、まさに「生きた音楽事典」という敬称で呼ばれるにふさわしいムカームの師匠であった。彼と同じように、歌手カスィム・アホン、カルン奏者ローズィー・アカ、タンブール奏者ローズィーら、ムカームを一部伝承していた民衆芸術家達が、トルディ・アホンの体系化に協力した。

 民衆の間によく広まっていたメシュレプなどは別として、チョン・ナグマなどは非常に限られた範囲の十人ほどの歌い手の記憶に頼っていたので、本来の姿をどの程度留めているかは定かではない。

 この後、八年ほどかけて十二ムカーム録音が採譜され、新疆ウイグル自治区文化庁「十二ムカーム」整理工作組の名義で五線譜にまとめられて出版された。トルディ・アホンの伝承に基づいて整理が行われたので、ウイグルの十二ムカームは元来ヤルカンドの伝統であり、それはすなわちカシュガルのムカームを中心に据えたことを意味する。この事業にはウイグル十二ムカームを極めて貴重なものと考えていた音楽学者の万桐書が尽力し、十二ムカームの曲を、はじめて五線譜に採譜した。歌詞は著名な詩人たちが苦労して書き取った。こうした尽力により十二ムカームは、消滅の危機から脱したのである。

 1930年代には演劇が舞台上で上演されるようになっていたが、それに伴い、ムカームも民衆の間で行われる小さな集会場だけでなく、劇場の舞台にも登場するようになっていたのである。三十年代から六十年代まで上演された歌舞の多くは、ある選ばれたムカームの曲であった。六十年代以降、政治や社会問題を主題として書かれた幾つかの舞台作品中においても、ムカームの主要な曲が採用され、ムカームは自分自身が持つ情熱と生命力を十分に示したのである。

 文化大革命の後、新疆ムカーム研究室設立(1981年)により、第二次ムカーム整理の作業が開始された。しかしこの時になされたのは、様々な楽曲の追加と整理であり、また不適切と判断された歌詞の置き換え作業であった。これにより、民間で伝承されてきた歌詞の一部は「格調高い」古典詩人による詩に置き換えられたのである。1987年、新疆ウイグル自治区ムカーム研究会が発足し、その後、新疆ウイグル自治区ムカーム芸術団が結成された。自治区内において、全国規模での、或は国際的規模でのムカーム研究の会議が次々と開催された。新疆ウイグル自治区十二ムカーム研究学会と新疆ウイグル自治区古典文学研究会は、共に十二ムカームの歌詞研究に関して多大な貢献を果たした。

 1995年新疆ウイグル自治区ムカーム研究会が中心となって、再びムカームの採譜、収集、整理作業が行われたが、1997年「新疆維吾尓自治区十二木卡姆和維吾尓古典文学基金会」により、『維吾尓十二木卡姆』が出版された。
維吾尓十二木卡姆は下記の十二のムカームから成る。

①ラク、②チャッバヤート、③スイガー、④チャハールガー、⑤パンジガー、⑥ウズハル、⑦アジャム、⑧オッシャーク、⑨バヤート、⑩ナワー、⑪ムシャーヴァラク、⑫イラーク


(参考文献)
Abdurahman, Adusami, Uighur milli chalghu aswabi rawap toghirisida Urumchi: Xinjang saniti zhornili,1996.
Ahmidi, Amatjan. Uighur onikki muqam tatqiqati,(Toplimisi) Beijing: Milletler Nshiryati, 1995.
Ahmidiu Amatjan. Uighur muqamliri tohrisida, Urumchi: Xinjiang,Haliq Naxiryati,1992.
Sawut Tursunjan Uighur onikki muqamning sutuq we xuba namilirining sharqi Urumchi: Xinjang saniti zhornili,2008 .2.
周吉『解読維吾尓珍宝木卡姆』烏魯木斉、新疆科学技術出版社、2006年。
馬成翔「哈密十二木卡姆研究」研究与探索編『新疆芸術』烏魯木斉、新疆人民出版社、1994年。
周菁葆『絲綢之路芸術研究』烏魯木斉、新疆人民出版社、1994年。
新疆維吾尓自治区文化庁編『中国新疆維吾尓自治区木卡姆芸術』烏魯木斉、新疆人民出版社、2006年。


目次 

  1. 総論
  2. 古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化
  3. 古代インドの音楽と楽器
  4. 胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽
  5. 日本と朝鮮に及んだシルクロード音楽文化
  6. 南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム
  7. イスラーム全盛期の西アジアおよび中央アジアの音楽
  8. ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に
  9. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズ
  10. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:トルクメニスタン
  11. 近代西アジアの音楽とヨーロッパ音楽との交渉:トルコを中心に
  12. 環地中海の音楽文化とシルクロード:古代ギリシアとローマ
  13. 環地中海の音楽文化とシルクロード: 近代ギリシアとオスマン・トルコ
  14. 環地中海の音楽文化とシルクロード:イタリアとオスマン・トルコ
  15. 環地中海の音楽文化とシルクロード:セファルド系ユダヤ人音楽家の活動
  16. シルクロード探検史に見る音楽資料
  17. ワールドミュージックとしての新しい「シルクロード音楽」の創出

執筆者一覧  

  • 柘植元一
  • 植村幸生
  • 濱崎友絵
  • 岡田恵美
  • 丸山洋司
  • サワン・ジョシ
  • アブドゥール・ラーマン 
  • 阿不都賽米・阿不都熱合曼(アブドセミ アブドラフマン)
  • ウメトバエワ・カリマン
  • 瀧 知也
  • 金光真理子
  • 佐藤文香
  • 三代真理子

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