17-1 オリエンタリズムとワールドミュージック
シルクロードは古来、ヨーロッパ人が東方の事物や風俗に抱いた好奇心や異国趣味の格好の対象であった。東洋の思想、古代の智慧、異文化の価値観に対する漠然とした関心と憧憬、いわゆるオリエンタリズムである。と同時に、シルクロードは西洋列強が東洋を支配しようと、躍起になって覇権を争った大地でもあった。「植民地主義的なまなざし」(エドワード・サイード)という意味での「オリエンタリズム」が、横行闊歩したのがシルクロードである。楽師の像や楽器や楽譜を含むシルクロードの考古学的発掘品は、探検家や好事家によって蒐集され、欧米の博物館に納められた。
1980年代にポピュラー音楽の世界にエスニック・ブームが巻き起こり、「エスノポップ」とか「ワールドビート」「ワールドフュージョン」などと銘打ったCDが人気を博すようになった。アジアやアフリカの伝統音楽そのものを流用したり、異文化の楽器やリズムや旋法を借用しながら加工し大衆化した音盤である。いわゆるアングロ=アメリカおよび西欧の主流のポピュラー音楽から逸脱したこの新しいジャンルに、レコード会社の経営者たちが「ワールドミュージック」という統一的な名称を与えグローバルに商品化する戦略を考えだしたのは、1987年のことである。
以来、ポピュラー音楽の一ジャンルとしての「ワールドミュージック」が一人歩きするようになった。だが、この名称はさらに四半世紀さかのぼる1960年代初頭から比較音楽学者や音楽民族学者が、彼らの研究対象を指して呼んだ“world
music”(世界音楽)を流用したものに他ならない。もともと世界音楽は、「音楽」の語が単独では西洋音楽しか意味しなかった欧米において、世界のすべて人類の音楽を意味する語として造語された。したがって、本来、西洋音楽をも含む古今東西の音楽を意味する。しかし、現実には、非欧米の伝統音楽を意味して用いられることが多かった。
ニューヨークやロンドンのレコード・ショップの店先で“world music”のコーナーを見ると、ポピュラー音楽の「ワールドミュージック」とアジア・アフリカの伝統音楽のCDが一緒くたに並べられているのは、この事情を反映している。しかし、近年は欧米の大都市にアジア・アフリカの移民が増えたせいで、伝統音楽がその発祥の地を離れて新しい土壌で享受されるようになってきた。また、ディアスポラが伝統音楽を素材にしつつ新しい音楽を創りだすようになった。さらに、アジア・アフリカの伝統音楽は発祥の地においてもフュージョンの時代に様変わりしている。要するに、伝統音楽が「ワールドミュージック化」しているので、この奇妙な分類がむしろ実態を映し出していると見えなくもない。
17-2 ワールドミュージックとしてのシルクロード音楽
近年とみに盛んになっているアジア・アフリカの音楽に対する興味と関心が、グローバリゼーションの結果であることに疑いない。しかし、中国の琵琶や二胡を習得する日本人が増えたり、インドのスィタールやアラブのウードを玄人はだしで演奏する日本人が出現する背景には、シルクロードの音楽文化に対するそこはかとない憧れとロマンがあったことも見逃せない。欧米の若者がトルコのネイや日本の尺八の習得に情熱を傾けるのと軌を一にしているが、スーフィーズムにせよ禅にせよ、シルクロード文化に魅せられてその虜になったのである。一時代前には「他者の音楽」であったシルクロードの音楽が、今や彼ら「自身の音楽」になりつつある。
ここでは「ワールドミュージック」と銘打ったCDのかなりの部分が、実はシルクロードの伝統音楽であることに注目したい。シルクロードが延びるユーラシア大陸が地球のかなりの部分を占めるという地理的条件ばかりではない。ほぼ7千年におよぶ長い人類の音楽の歴史もこの地域で展開した。したがって、この広大な大陸のさまざまな伝統音楽が――人々の日常生活と直結した音楽、もろもろの宗教儀式の音楽、あるいは前人未踏の秘境の音楽――漠然と「シルクロードの音楽」と呼ばれている側面もある。
実際に「シルクロード」を謳った二、三のCDの内容を見てみよう。手もとにある 輸入盤の「シルクロード――音楽のキャラバンThe Silk Road――A Musical Caravan」と題されたスミソニアン・フォークウェイズのCDには、イラン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、カザフスタン、ウイグル、アフガニスタン、中国の伝統音楽に加えて、なんと尺八による五木の子守唄も入っている。
日本盤CD「シルクロード音楽の旅」(キング・レコード)を見てみると、中国の漢族・朝鮮族・チベット族・ウイグル族、モンゴル、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、アゼルバイジャン、イラン、トルコ、ルーマニア、ネパール、パキスタン、インドの音楽に加えて、エジプトの音楽が入っている。
これらの音楽を注意ぶかく聴いてみると、これらの地域で今日まで伝承されてきた音楽、洋楽の語法や洋楽器を加えて編曲したもの、新しい創作など雑多な要素が入りまじったアジアの音楽がひとくくりに「シルクロードの音楽」と呼ばれていることが分かる。
しかし、一方で、かつて漢民族が「西域楽」と呼んでいた外来音楽が、「シルクロードの音楽」として理解されている点にも注目する必要がある。この場合おのずから西域の古代音楽に限定されるが、実は「西域」の概念自体も漠然としていて、西は亀玆・于闐・ガンダーラからギリシアやローマの音楽を含み、東は高麗・百済・新羅の朝鮮半島の音楽、南は天竺(インドやセイロン)の音楽、そして林邑・度羅(東南アジア)の音楽といった具合に東西に拡大される。
最近(2010年9月)、中国の新疆ウルムチで開催された「時空を超えたシルクロード」と題した音楽会では、「唐曲五首」と題して『敦煌曲譜』から解読された唐代の音楽を復元したもの、「ウッシャーク・ムカーム」「ナワー・ムカーム」など新疆ウイグルの伝統音楽を四曲、新疆タジクの民謡、周吉の作品「亀玆古韻組曲」が演奏された。つまり、本来の西域楽には限定されず、その流れを引く現代の作品も含まれるのである。
17-3 「新シルクロード」の音楽
シルクロードの音楽と云えば年配の人なら、一昔前のNHK特集「シルクロード」のテーマ音楽(喜多郎作曲のシンセサイザーによる音楽)を思い起こすであろう。これは広く人口に膾炙したテーマ音楽であった。この音楽はなぜか中国でも「シルクロードの音楽」としてひろく愛好されていた。しかし、若い世代の人ならこの見出しからすぐさまヨーヨー・マとシルクロード・アンサンブルが奏でた、NHKテレビ番組『新シルクロード』のテーマ音楽を思い浮かべるにちがいない。2004年にNHKが放送八十周年を記念して日本と中国が共同制作した特別番組である。
タイトル画面の冒頭に、アゼルバイジャンの名歌手アリム・カスィモフが短いダルアーマド(序唱)をいきなり高らかに歌う。はじめて聞く人はいささか意表をつかれるかも知れないが、これはアゼルバイジャンのムガーム・シューシュタル(シューシュタル旋法)の調べである。次いで、グリア・マシュロヴァが静かにハープで短三和音をつま弾きはじめ、それに誘われるようにヨーヨー・マがチェロで「モヒーニー(魅惑)」のテーマを弾きだす。さらに二挺のヴァイオリンと中国琵琶が参加して響きに厚みを加える間に、インドの歌姫ニランジャナがヴォカリーズ(母音唱法)で主旋律を引き継ぐ。実は、この旋律はインドのタブラ奏者サンディープ・ダスがヒンドゥーの女神モヒーニー像から霊感を得て、インドラジット・デイと共に作った曲でラーガ・バイラヴィに基づいていると言う。(“Enchantment,” Yo-Yo Ma & The Silk Road Ensemble, SICC 217 [2004])
これは今日のアゼルバイジャン・イラン・インド・中国・アメリカの第一級の演奏家の協力を得て、ヨーヨー・マが新たに作りだした世界音楽で、すぐれて現代のシルクロードの音楽を反映したものである。
最後に、ワールドミュージックの近年の展開の結果、創造あるいは再創造された二三の新しいシルクロードの音楽に注目してみよう。
トルコのアラベスクは1970年頃に流行しだしたポピュラー音楽で、けっして新しいものとは言えないが、農村から都市に移住した労働者階級やドイツに移民したディアスポラの間であいかわらず歌われている。オスマン音楽の名残りを色濃くとどめた大衆歌謡で、日本の演歌に通底する
イランのハムアーヴァーイーはホセイン・アリーザーデが1980年代末に創始した多声のアーヴァーズである。イランの古典音楽の粋といえば、無拍のリズムで即興的に歌われるソロのアーヴァーズとされていた。これを集団即興でポリフォニックに歌う大胆な試みがハムアーヴァーイーである。今やこのスタイルがイランの古典音楽に定着しつつある。
パキスタンのワールドビート・カッワーリーは、スーフィー(イスラーム神秘主義者)の典礼音楽と世俗的なポップスとのフュージョンである。カッワーリーの巨匠ヌスラト・ファテアリー・ハーンがこの様式の創出に与った。