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12.環地中海の音楽文化とシルクロード: 古代ギリシアとローマ金光真理子


 古代ギリシア・ローマをみずからの文明の源泉と考える西洋(オクシデント)にとって、西洋文明と対峙する他者こそが「東洋(オリエント)」であった。十八世紀のシノワズリ(中国趣味)の流行のように、シルクロードを通じてもたらされる異国の工芸品への関心は高く、「オリエント」は興味を惹かれ、好奇心をそそられる憧れの対象であると同時に、その異質さゆえに理解不能な畏怖の対象でもあった。このアンビバレントなまなざしが「オリエント」を構築する。とりわけ近代以降、E.サイードが「オリエンタリズム」と告発したように、「オクシデント」と「オリエント」を二分する二項対立の図式が、政治的・文化的な支配/被支配の関係に利用されてきたことは否めない。「オリエント」の言説を、裏返して「オクシデント」自身の言説として読み直すためにも、両者の歴史的な関係を辿ることは有益であろう。

 ここでは、ギリシアとイタリアを中心に、ヨーロッパとシルクロードそして「オリエント」の関係を、歴史的に大きく古代と中世・近代との二つに分けてみていきたい。

12-1 古代ギリシア・ローマとシルクロード

 すべての道はローマへ通ずとは、古代ローマ帝国が領内に張り巡らせた道路網に由来するが、古代ギリシアそしてローマは、ヨーロッパにとどまらず、アナトリア(現トルコ)やシリアを始めとするオリエント世界と繋がり、交易や戦争など物と人の往来を通じて、その文化を吸収していた。音楽もその一つで、古代ローマでは、たとえば、フリギア(アナトリア中西部)伝来の楽器が人気を博し、フリギア人の音楽家も活躍していた。

 古代の人々はどのような音楽を聴いていたのであろうか。それを知る手がかりの一つとなるのが楽器である。楽器は国境を越えて伝わり、時代を経て時に形を変えながらも受け継がれていくため、その変遷を辿ると一つの繋がりがみえてくる。それは、西端のローマから東端の奈良まで、洋の東西を結ぶシルクロードを実感する繋がりでもある。その一例として、地中海世界で古来重用されてきた葦笛(リード楽器)をとりあげてみよう。

12-2 古代ギリシアのアウロス

 古代ギリシアの葦笛をアウロス aulosという。アウロスは双管の竪笛で、竪琴のリラと共に、古代ギリシアを代表する楽器である。神話ではリラはアポロン神の楽器、アウロスは半獣神マルシュアスの楽器とされ、アポロンとマルシュアスがそれぞれの楽器で腕を競った結果、アポロンが勝利し、マルシュアスは生きたまま皮を剥がれたとされる。リラと比較してアウロスを蔑視するこのイメージは、アテナイ人が前五世紀頃に創りだしたものと考えられる1。当時アテナイはボイオティアと敵対しており、ボイオティア人はアウロスを愛好し、その巧みな演奏で知られていた。アテナイ人の政治的な意図はさておき、リラとアウロスの対照的なイメージは広まり、後にニーチェは『悲劇の誕生』の中でリラにアポロン的な理性の象徴を、アウロスにディオニソス的な情動の象徴をみている。情動、陶酔(オルギア)的、熱狂的――こうしたアウロスのイメージ2は、もっぱらアウロスが演奏された場・機会と結びついているとみてよい。

 アウロスは、神々のための祭祀、戦争、演劇、スポーツの競技会、結婚式や宴会などで演奏された。大地母神キュベレ(フリギア起源)の祭祀を始め、神々へ生贄を捧げる供犠では、厄祓いにアウロスの鋭い音色が不可欠であった。私的な酒宴でもアウロスは活躍した。プラトンの『饗宴』には、酔ったアルキビアデスが、アウロスを吹くヘタイラ(遊女)を引き連れて、アガトンの家へやって来るシーンがある。

12-3 アウロスの二つの特徴

 アウロスの演奏には、循環呼吸の技法が用いられた。演奏者は管の先につけられたリード(ダブル・リード)を二本とも口にくわえると、唇をしっかりと閉じて頬に息を溜め、その息を押し出す間に鼻から息を吸い、口腔の気圧を一定に保つことで、音を不断に鳴らし続けた。なぜ不自然ともいえる循環呼吸奏法を敢えて行ったのであろうか。その理由は、鳴り続ける音にある。人間と違って「歌い続ける」ことができるアウロスの音は、人間の声を超越した、いわば神秘的な声であり、供犠の場ではアウロスの音が悪霊に入り込む隙を与えず、悪霊を祓うと考えられたからである3

 ちなみに、この音を鳴らし続けるという奏法を、道具の力で容易にしたのがバグパイプである。バグパイプの起源は不明であるが、少なくともヨーロッパでは図像資料から十二世紀以降の変遷を辿ることができる。バグパイプはスコットランドだけでなく、イベリア半島からイタリア、フランス、ドイツ、東欧、北欧そしてロシアまで、ヨーロッパ大陸に広く普及している。さらにチュニジアなど北アフリカから西アジアそして東はインドまでみられることから、まさにオリエント世界を象徴する楽器の一つといってよい。

 もう一つ、アウロスの「不自然な」特徴が、双管である。アウロスは、一本ではなく、かならず二本で演奏された。古代ローマでもティビア tibiaという葦笛がやはり双管で演奏された。そして現在でもリード楽器を双管で演奏する習慣は地中海世界で広く認められる。双管で吹く理由として二つの音響効果が考えられる。一つは二つの音を同時に鳴らすことによるポリフォニックな響き、もう一つは「唸り」である。左右の管で同じ音を、わずかにピッチをずらして吹くことで唸りが生じ、より強烈な音響が得られる。

12-4 アウロスの系譜

 リード楽器の変遷を辿ると、アウロスと同じダブル・リードの系譜(オーボエ族)はやがて単管での演奏が主流になり、大きく二種類に分かれたと考えられる。一つは、円筒形の管に比較的大きなリードを付けたタイプで、西アジアではメイ(トルコ)、バラバーン(イラン)、ドゥドゥク(アルメニア)等と呼ばれている。このタイプはシルクロードを経て東へ伝わり、中国の管子(グァンズ)、朝鮮半島のピリ、そして日本の篳篥(ひちりき)として、それぞれの伝統に根づいた。もう一つは、円錐形の管に比較的小さなダブル・リードを付けたタイプで、ズルナ(トルコ、アラブ諸国)、ソルナー(イラン)、ミズマール、ガイタ(アラブ諸国)等と呼ばれている。このタイプは中世にイスラム世界からヨーロッパへ伝わり、シャリュモーchalumeau(フランス)、チャラメッラciaramella(イタリア)等と呼ばれた。なお、日本では江戸時代に中国から嗩吶(スオナー)が伝わり、これを長崎のポルトガル人がチャラメラと呼んだことから、チャルメラという名前が定着したようである。

 中世ヨーロッパでは、ソルナーのみならず数多くの楽器がイスラム世界から伝来し、後にオーケストラで使われる楽器の原型ともなった。そして近世以降、ヨーロッパにとってのオリエントとは、他ならぬオスマン・トルコであった。そこでオスマン・トルコが音楽において与えた影響を、まずはギリシア、そしてイタリアについてみていこう。


(脚注)
.ウェグナー、マックス『ギリシア 人間と音楽の歴史 第Ⅱシリーズ:古代音楽・第4巻』(Max Wegner. Griechenland. Ed. By Heinrich Besseler and Max Schneider. Leipzig:VEB Deutscher Verlag für Musik)東京:音楽之友社、1985年、9頁。
.同上12頁。アリストテレスは『政治学』第8巻6,3の中でアウロスをエートス(倫理)的な楽器ではなく、オルギア(陶酔)的な楽器と言っている。
.同上8頁。


目次 

  1. 総論
  2. 古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化
  3. 古代インドの音楽と楽器
  4. 胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽
  5. 日本と朝鮮に及んだシルクロード音楽文化
  6. 南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム
  7. イスラーム全盛期の西アジアおよび中央アジアの音楽
  8. ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に
  9. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズ
  10. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:トルクメニスタン
  11. 近代西アジアの音楽とヨーロッパ音楽との交渉:トルコを中心に
  12. 環地中海の音楽文化とシルクロード:古代ギリシアとローマ
  13. 環地中海の音楽文化とシルクロード: 近代ギリシアとオスマン・トルコ
  14. 環地中海の音楽文化とシルクロード:イタリアとオスマン・トルコ
  15. 環地中海の音楽文化とシルクロード:セファルド系ユダヤ人音楽家の活動
  16. シルクロード探検史に見る音楽資料
  17. ワールドミュージックとしての新しい「シルクロード音楽」の創出

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