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4.胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽植村幸生(東京藝術大学教授)

4-1 胡楽を伝えた人々

 滋賀県のMIHO MUSEUM に「棺床屏風」と称する、十一枚からなる大理石のパネルがある。中国北部で出土し、北朝から隋代のものといわれるこの石の屏風にはレリーフが彫られていて、ひげをたくわえた被葬者と思われる人物が随所にあらわれ、彼の生前の生活を彷彿とさせる。この屏風の一枚がゾロアスター教の葬式の場面を描写していることから、被葬者は明らかに中央アジア以西から渡来してきた人物であったことがわかる。別の一枚には、被葬者の婚礼場面が描かれているが、結婚する二人の前には箜篌、五絃琵琶、四絃琵琶を奏でる人物、踊りもしくはアクロバットを行う人物が描かれている。この棺床屏風は、隋代あるいはその直前ごろから活発化する、西域人の東漸のありさまを生き生きと映し出しているとともに、それに伴って西域の音楽文化、いわゆる「胡楽」が徐々に浸透しつつある状況をもよくあらわしている。【図1 棺床屏風】 

【図1 棺床屏風】
 MIHO MUSEUM蔵


 いうまでもなく、隋・唐時代は中国史のなかで文化の国際性が最も華麗に展開した時代である。中央アジアで合流を果たしていたインド系、ペルシア系、アラブ系などの文物は、商業・流通を担ったソグド人らの手によって隋・唐の都、長安にもたらされ、そこで高くもてはやされた。棺床屏風に描かれた被葬者もあるいはそうしたソグド商人の一人であっただろうか。そしてこの時代、多くの音楽家もまた西域から長安にやってきていた。彼らの中にはその音楽によって皇帝らの恩寵を受け、大いに出世した者もある。そのような栄達を遂げた著名な西域系音楽家の早い例として、曹波羅門、曹僧奴、曹妙達の親子三代を挙げることができる。曹一族は曹国出身ゆえその姓を名乗ったが、曹国とは現在のウズベキスタン、サマルカンドの東北にあった国という。曹三代は北魏、北斉、隋の三朝につかえ、とくに曹妙達は北斉時代に王に封じられるに至った。職業音楽家の身分が一般人よりも低いとされていたなかで、彼がいかに破格な扱いを受けたかがわかる。

 曹一族は琵琶を代々伝えたとされるが、彼らが伝承した琵琶は「胡琵琶」または「亀茲(きじ)琵琶」と称された五絃琵琶である。五絃琵琶はインド発祥と考えられ、頸がまっすぐで細長い胴体をもつ点に特徴がある。四絃琵琶と五絃琵琶はどちらも、隋・唐代を代表する胡楽器であるが、ペルシア系と考えられる前者(頸が折れた形に特徴がある)がそれ以前からすでに中国にもたらされていたと見られるのに対して、胡琵琶すなわち五絃琵琶は、この時代になって中国で隆盛をみた。次項で述べるように日本の正倉院に四絃琵琶と五絃琵琶の両方が保存されているのは、当時の中国における両者の流行を反映したものである。しかし五絃琵琶はその後急速に廃れてしまった。

4-2 胡楽がもたらした音楽理論

 曹一族と同じく胡琵琶に通暁していた西域系音楽家に蘇祇婆(そぎば)という人物もいた。『隋書』によれば、蘇祇婆は亀茲国すなわちクチャの出身で、突厥の女王に従って北周に入り、楽律の理論と用語を伝えたという。ここでいう楽律の理論とは「七調五旦(しちちょうごたん)」と呼ばれるものである。

「旦(たん)」は岸辺成雄によれば、「弦」を意味するサンスクリットの音訳であり、音の高さを意味するものである。これが中国語では「均(きん)」と訳されている。均とはオクターブを意味する語であるが、たとえば「黄鐘均」とは黄鐘という律(音高)を両端とするオクターブ、「林鐘均」は同じく林鐘という律をその両端にもつオクターブを意味する。同じ調、たとえば宮調(五音音階とするならばド・レ・ミ・ソ・ラの調)であっても、その主音である宮(ド)の位置が黄鐘であるか林鐘であるかによって、異なる音階になるが、前者を「黄鐘均宮調」後者を「林鐘均宮調」と呼べば両者を区別することができる。これは現代の私たちにとっては当たり前のように思われるが、大きな発見であった。この考えをもって、鄭訳(ていやく)は、十二の律(すなわち音高)の上に、それぞれ七つの調が理論的に構成し得ることを見出し、これを新たな雅楽の音組織の理論として提案した。

 ところが、八十四調の理論構成を行ったのは、実は鄭訳ではなく、萬宝常という人物だという見解がある。萬宝常は楽戸すなわち宮廷付きの音楽家の身分であり、当時としては差別される階層であった。おそらくそのために『隋書』音楽志の項目には鄭訳の名前しか記されていないのだが、萬宝常の音楽的な力量と理論への通暁が圧倒的であったためであろう、同じ『隋書』列伝には特に彼を取り上げてその履歴を記している。楽戸の身分としてはきわめて異例の扱いである。

 ともあれ、西域を経てもたらされていたインド系の音楽が、単に中国の宮廷を華麗に飾り立てただけでなく、音楽に対する理論的な思考にまで影響を及ぼしていたことは特筆に値する。

 八十四調の理論は唐代の俗楽(燕楽)ではなく雅楽、すなわち古代中国の祭礼音楽のために用意されたものである。それに対して俗楽では二十八調理論が行われた。この二十八調とは四つの調に対して、七つの異なるピッチを主音とする四つの調をそれぞれ区別するというものであって、それら二十八調は先に述べた八十四調にすべて包含される。さらに、現実には二十八調すべてが音楽として実用されたという訳ではなく、唐代においてはそのうちの十三調が実用的な調であった。

 ところでこの十三調を見ると、沙陀調(さだちょう)、壱越調(いちこつちょう)、盤渉調(ばんしきちょう)などの独特な名称が見られる。同じ二十八調の中でも実用性の薄かった、つまり理論的にのみ構成された調の名称は、たとえば、南呂調、仲呂調、黄鐘調などのように、律名をそのまま応用しているのとは対照的である。これらの独特な名称は、それ自体が西域あるいは遠く天竺の用語から音訳ないし借用されていると推定される。たとえば盤渉調は、サンスクリットで「第五」を意味する「パンチャマ pañcama」の音訳であるとの推定が早くからなされていた。これらの調の名称は、音の組織に還元すれば、律名を用いた理論的な名称で呼ぶことができる。たとえば沙陀調は「黄鐘(均)宮調」と呼ぶことができる。にもかかわらず、沙陀調という名称が存在したということは、「調」というものが、ただ音の組織に還元できるものではなく、その音楽独自の旋律的な特徴、あるいは醸し出す独特の雰囲気をもつものと捉えられていたからに違いない。言い換えれば、調というものは、楽曲あるいは楽曲グループに固有の「持ち味」を意味していたのである。唐代俗楽のなかで、こうした西域・天竺系の調名称がそのまま用いられたということは、実態はともかくとしても、西域・天竺の音楽に由来すると信じられた何らかの音楽的特徴が存在していたことを意味するであろう。

4-3 唐代の十部伎

 さて、隋唐にもたらされた西域天竺系の胡楽は、中国固有の音楽とともに、代表的な宴饗楽として華麗に宮廷を彩った。その典型といわれるものが唐代十部伎である。これは隋代の九部伎から発展したものであって、隋・唐とそれら近隣諸国との外交的関係を示す公式の楽でもあった。これらの音楽・舞踊を演じたのが、すべてその地の出身者であったかどうかはわからない。しかし少なくとも、その楽舞を伝授し演奏を率いたのは、長安に来ていた胡人音楽家であったに違いない。十部伎それぞれの名称、順序、および由来地は以下の通りである。

①讌楽伎
②清楽伎
③西涼伎(甘粛省涼州)
④高麗伎(高句麗)
⑤天竺伎(インド)
⑥亀茲伎(クチャ)
⑦疏勒伎(カシュガル)
⑧安国伎(ブハラ)
⑨康国伎(サマルカンド)
⑩高昌伎(トゥルファン)
⑪礼畢

 十部伎の楽器編成はそれぞれの演目ごとに異なっていた。従って、楽器編成をみることによって、どのようなタイプの音楽、舞踊がおこなわれたのかを推測できる。たとえば、⑨康国伎(サマルカンド)は、弦楽器を一切使わず、笛と打楽器だけで演奏された。このことから康国伎がもっぱら舞踊または演劇を主とする芸能であったことが推測される。こうした十部伎の制度は、玄宗(在位712-756)の時代に二部伎に再編された。二部伎は立部伎と座部伎の二つからなるが、ここでは地域別の演目編成は採用されておらず、内容的にも雅楽、俗楽、胡楽の三つの要素が統合されていた。つまり二部伎の成立は、胡楽という外来音楽が次第に中国国内で消化されていった過程の反映であるとみることができる。

 玄宗皇帝は音楽をこよなく愛していた。とりわけ法曲と呼ばれる道教系の内容をもった音楽をとりわけ好み、ついにはその法曲と胡楽を組み合わせて新たな音楽を創るということをさせた。また、その法曲を伝習させるための組織を新たに設けさせたが、これを梨園と称した。この語がのちに中国劇壇、さらには日本の歌舞伎界を意味するものに転じたことはよく知られる。ちなみに『新唐書』には、この玄宗皇帝が法曲と胡楽の合作を命じた翌年に安禄山の乱が起きたということを簡単に述べ、その音楽が礼楽の道にはずれることをさりげなく批判している。


(参考文献)
岸辺成雄『古代シルクロードの音楽:正倉院・敦煌・高麗をたどって』東京:講談社、1982年。
岸辺成雄『唐代音楽の歴史的研究 楽制篇上巻・下巻』(初版)東京:東京大学出版会、1961年。(復刻版)大阪:和泉書院、2005年。
岸辺成雄『唐代音楽の歴史的研究 続巻 楽理篇 楽書篇 楽器篇 楽人篇』大阪:和泉書院、2005年。
林謙三『東アジア楽器考』東京:カワイ楽譜、1973年。(復刻版)東京:カワイ出版、2013年。
東洋音楽学会編『唐代の楽器』東京:音楽之友社、1968年。(東洋音楽選書)
吉川良和『中国音楽と芸能』東京:創文社、2003年。(中国学芸叢書)

目次 

  1. 総論
  2. 古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化
  3. 古代インドの音楽と楽器
  4. 胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽
  5. 日本と朝鮮に及んだシルクロード音楽文化
  6. 南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム
  7. イスラーム全盛期の西アジアおよび中央アジアの音楽
  8. ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に
  9. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズ
  10. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:トルクメニスタン
  11. 近代西アジアの音楽とヨーロッパ音楽との交渉:トルコを中心に
  12. 環地中海の音楽文化とシルクロード:古代ギリシアとローマ
  13. 環地中海の音楽文化とシルクロード: 近代ギリシアとオスマン・トルコ
  14. 環地中海の音楽文化とシルクロード:イタリアとオスマン・トルコ
  15. 環地中海の音楽文化とシルクロード:セファルド系ユダヤ人音楽家の活動
  16. シルクロード探検史に見る音楽資料
  17. ワールドミュージックとしての新しい「シルクロード音楽」の創出

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