ユダヤ人は第二神殿崩壊(西暦70年)からイスラエル建国までの約2千年間、迫害や虐殺の危機に晒されながら不安定な離散生活を営んできた。彼らの音楽は彼らが移り住んだ土地固有の音楽と混ざり合いながら、ある種の折衷的な型を作り出した。
世界のユダヤ人コミュニティを地域的文化的に大別すると、アシュケナーズ系(東西ヨーロッパ)、セファルド系(地中海周辺およびヨーロッパの一部)、ミズラハ系(東方)の三つに分けられる。この項ではシルクロードの西端である地中海世界を舞台に、そこで暮らしてきたセファルド系ユダヤ人の音楽について述べる。
15-1 セファルド系ユダヤ人
セファルド系ユダヤ人とは、ヘブライ語でスペインを意味するセファルドSephardに由来し、スペイン生まれのユダヤ人という意味である。彼らは西暦70年の神殿破壊によってイベリア半島(スペインやポルトガル)に移住したユダヤ人であり、14世紀頃まではそれらの地域でキリスト教徒やイスラーム教徒と共生していた。だがキリスト教徒によるイベリア半島の再征服活動、レコンキスタ(1492年スペイン、1497年ポルトガル)が起こると、彼らは土地を追われ、北アフリカのアラブ諸国(モロッコ、アルジェリア、チュニジアなど)や、当時オスマン・トルコ支配下だったバルカン半島(ギリシア、ルーマニアなど)、エジプト、中近東(シリア、トルコ、エルサレム)などに移り住んだ。またキリスト教に改宗して追放を免れた者たちはその後マラーノ(スペイン語で豚の意)と呼ばれて迫害された。
15-2 セファルド系ユダヤ人の音楽
セファルド系ユダヤ人の音楽は、他の地域の音楽形式や表現を取り込みながら豊かに育まれてきた。彼らの音楽は一般的にテトラコード(ド-レ-ミ-ファ、レ-ミ-ファ-ソなど、両端が完全4度の音程をなす四音音列と、完全4度の枠を指す)を基礎として、無拍のリズムを持っている。こうした特質に加え、スペインの音楽やその他の離散した地域の音楽、またトルコやアラブなどイスラーム圏の音楽の影響を被っている。例えばカンテ・フラメンコの発声法や微分音程、半音階やメリスマを用いたマカームによる無拍リズムの即興技法、アラブのリズム周期の多用などの傾向が見られる。
また彼らは口頭伝承を通じて自分たちのレパートリーを伝えてきた。それが五線譜に採譜されたのは20世紀初頭である。
15-3 声楽
セファルド系ユダヤ人の音楽では声楽が主流であり、その主なジャンルにはロマンセ(史詩)、コンプラ、ピユートなどがある。
ロマンセとは叙事的ないし叙情的な物語歌のことであり、中世叙事詩やシャルルマーニュ時代の戦闘の騎士道物語などを含んでいる。歴史の中で、ロマンセは追放されたユダヤ人が定住した国や地域に合わせて変化してきた。ある一つの旋律が多数のロマンセに使われたり、逆に一つの歌詞が他の旋律に用いられたりすることもあった。祭りや結婚式、誕生日の折に女性たちによって歌われ、また時には恋の歌や子守唄として歌われることもあった。そして通常は楽器によって伴奏されることはなかった。セファルド系ユダヤ人のフォークロアを研究する者たちによって、なぜ彼らがスペインでロマンセを歌い始めたのか、また彼らが追放された後もそれを歌い続けたのかは疑問視されてきたが、ロマンセはスペインのロマンセーロと類似しており、これを歌うことは自らをスペイン人(ユダヤ起源のスペイン人)であると深く意識していたからだと考えられている。
コンプラと呼ばれるジャンルには副典礼、聖人伝、訓戒、語り‐説話など、様々なものがある。副典礼のコンプラはユダヤの祭礼(例えばプリムやハヌカー、シャヴォトなど)の折に歌われ、それぞれの祭礼の日を讃えている。訓戒のコンプラは人にその誤りを気付かせようとし、人を正道に差し向けるために歌われる。また聖人伝のコンプラはヘブライ文化の偉人たちの生涯と歴史を賛美する歌であり、アブラハムのコンプラやヨゼフのコンプラなどが含まれている。そして語り‐説話のコンプラはユダヤ社会の生活の挿話を物語ったり、戦争や反乱の際に被った苦痛を語ったり、セファルド系ユダヤ人社会の生活を襲った天災や病気などの悲劇的な挿話を知らせたりするための歌である。これらの歌は、フォークロアの観点から興味深いだけではなく、歴史や事件の詳細を知る上でも重要な役割を果たしているといえる。
ピユートはシナゴーグの礼拝式文に韻を踏んだ賛歌のことである。6世紀にユスティニアヌスによって宗教弾圧が行われ、タルムードやミドラシュ(聖書注解)の研究が禁止された。その禁止の網の目をくぐる逃げ道として導入されたのがピユートだといわれている。最初は、アクセントに関係なく、それぞれの行に同じ数の音節を持つものだったが、後にアラビア語の韻律法が採用されるようになると、職業的な歌手兼詩人(ハザン)が必要になった。ハザンは当初ピユートを創作して独唱していたが、時が経つにつれて信者たちも歌唱に参加するようになった。現存する最古のピユートは1102年にユダヤ教に改宗した、プーリアのオッピド出身のノルマン系貴族ジャン・ドロコスが書いた三枚の手稿であり、これはヘブライ語聖歌の楽譜としても最古のものである。その内容は『イザヤ書』の詩節に基づいたモーセの死に関するピユート、および当時礼拝式文で用いられた聖書の詩節から成っている。
15-4 楽器
セファルド系ユダヤ人の伝統音楽の中で用いられる楽器はイスラーム教徒の伝統でも等しく用いられているものが多い。例えば重要なものにウードがある。これはアラブ人によってスペインに持ち込まれた。この楽器は伴奏楽器でありソロで用いられることはまれであり、序奏や、間奏、後奏を行うために用いられる。器楽の序奏は、イスラーム世界においては演奏家の想像力や即興に委ねられ、それ自体一つの音楽部分を成している。それに対しセファルド系ユダヤ人が演奏する序奏はより短いものとなっており、歌の旋律形式をなぞるものとなっている。また楽器が伴奏のために用いられる場合も、伴奏は歌の旋律にわずかな変更のみを加えて繰り返す。
同様に、カーヌーンと呼ばれる楽器もセファルド系ユダヤ人とイスラーム教徒にとって重要な楽器であり、12世紀に初めてスペインに出現したといわれる。この楽器は左右非対称の台形のツィターであり、甲(表板)の一部が皮張りになっている。弦は三弦一コースであり、両手の人差指に金属の小さな義爪を付けて奏でられる。この楽器もウードと同じように歌の旋律に対してヘテロフォニックな形の伴奏に用いられる。
その他ジュラと呼ばれる、トルコのセファルド系ユダヤ人が用いる弦楽器や、チョグールと呼ばれる弦楽器も用いられた。どちらもトルコのアレヴィー教徒(シーア派イスラーム教徒)の間で流布していたが、彼らがこれらを宗教儀式のためにも用いていたのに対して、セファルディムは結婚式などの祝いの場でのみこれらの楽器を用いた。
以上の楽器は主に男性によって演奏され、女性が演奏することはまれであった。だがもっぱら女性だけの楽器として大型タンバリンを挙げることができる。この楽器もまたセファルド系ユダヤ人の伝統だけに見られるものではない。またその他彼らが用いてきた打楽器に、ダラブッカという、一面を羊皮で覆ったゴブレット形の楽器も存在する。
(参考文献)
アルカライ、リリアーナ・トレヴェス『セファラード:スペインユダヤ人の500年間の歴史・伝統・音楽』谷口勇訳、東京:而立書房、1996年。
ウェルナー、エリック「ユダヤの音楽 Ⅰ. 礼拝用音楽 9スファラド系のピユート」、『ニューグローヴ世界音楽大事典』水野信男訳、東京:講談社、1993年、第18巻576~577頁。
カッツ、イスラエル・J「ユダヤの音楽 Ⅱ.世俗音楽 5.スファラド系」、『ニューグローヴ世界音楽大事典』水野信男訳、東京:講談社、1993年、第18巻585~586頁。
水野信男『ユダヤ音楽の歴史と現代』 東京:アカデミア・ミュージック、1997年。