本文へスキップ

9.中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズウメトバエワ・カリマン

9-1 クルグズという国

 天山山脈とパミール・アライ山脈に沿うように位置するクルグズは「山の国」である。「キルギス」という名称は、旧ソ連時代に用いられたロシア語の発音であり、正式にはクルグズ、またはクルグズ共和国と呼ばれる。東は中国(新彊ウイグル自治区)、北東はカザフスタン、南西はタジキスタン、西はウズベキスタンに隣接している。現在のクルグズ共和国はビシケク特別市と、バトケン、チュイ、ジャラル・アバド、ナルン、オシュ、タラス、イシククルの七つの州から成る。

9-2 クルグズの伝説

 クルグズには伝統音楽の起源にまつわる伝説がある。その中では、すべての音楽はカンバルという、ある一人の伝説上の狩人に由来するとされている。カンバルについては、クルグズにおいてさえ今も詳しく判っていないが、その伝説は次のような話である。

 「大昔、カンバルという男が狩に出かけ、高所に立っていた岩山羊を銃で撃ち殺した。銃弾を受けた岩山羊はよろめいて山から転落するが、そのときに木の枝に引っ掛かり、腹が破れてしまう。数ヶ月後、岩山羊の腹からはみ出た腸は乾燥する。しかしその腸は風を受けることで振動を起こし、きれいな音を奏で始めた。その音色にカンバルは感動を覚え、腸が引っ掛かった木と、その腸を材料にしてコムズを作った。」

 これがコムズ(三弦のリュート)の始まりであり、同時にそれがすべてのクルグズ音楽の起源となった。それゆえ、クルグズにおいては、コムズは楽器の中でも中心的な役割を担うものとみなされている。

9-3 クルグズ音楽とその楽器

 遊牧民であったクルグズ人は家畜と共に生活を行ってきた。そのため家畜の放牧地が痩せると、一つの場所から他の所へ移動していた。平地で遊牧をするカザフ人やトルクメン人は水平方向に向かって移動していたが、クルグズ人は山の麓から頂上まで、つまり垂直移動で遊牧していたという。また、食材を得るために狩が非常に大事だったという。このような厳しい自然と生活がクルグズの音楽と楽器に大きな影響を与えてきたといえるだろう。頻繁な移動を行う遊牧の生活では、物をなるべく軽く、小さく、そして持ち運び易くする。コムズもまた、口琴やクヤク(二弦の楽器)といった他のクルグズの楽器と同様の形状である。

 険しい山岳地帯の暮らしでは人々の交流が困難だったため、演奏会は少人数で行われるのが普通であった。楽器の奏法は即興的であり、独奏で行われる場合が殆どであった。また音が大きくないため、個人で楽しむために演奏をすることもあった。
9-3-1 コムズ

 コムズ【図1】はクルグズを代表する国民的な楽器である。現在のコムズは船漕ぎのオールのような形状で、楽器の名称は二つある。一つはよく知られているコムズという名称であり、もう一つはチェルテメックである。後者は専らクルグズ南部一帯の呼び名で、外国では殆ど知られていない。

  コムズを作るには、アンズの木が最もよい。楽器の胴、棹、頭部(転軫)を製作するには、一本のアンズの木が用いられ、共鳴板にはエゾマツが使われる場合が多い。弦は約10年前から靴を仕立てるためのナイロン製の縒り糸が使われているが、旧ソ連時代はナイロン製の釣り糸が代用されていた。かつては、乾燥させた羊の腸が使われていた。

 コムズは、三弦のうち中央の弦が最も高い音に調律される場合が多い。最もよく使われている調弦法は下記のようなものである。

 e’-a’-e’;d’-a’-d’; e’-a’-d’; d’-a’-e’

 コムズ演奏技法の特徴的な要素として、曲芸的なパフォーマンスが挙げられる。例えば、右手(弦を弾く手)が「鳥の翼」を模して羽ばたくような動きをしたり、楽器を肩や頭の上にのせて奏でたりもする。こうした所作はコムズ演奏に固有のものである。

【図1】 コムズ(撮影:ウメトバエワ・カリマン)

 コムズは楽器のみによるソロと楽器アンサンブルの他に、歌の伴奏楽器として用いられることも多い。

9-3-2 クル・クヤク

 クル・クヤク(あるいは単にクヤク)【図2】は、舟底形の共鳴胴をもつ弓奏楽器で膝の上に立てて演奏される。クル・クヤクを作るには、アンズの木、あるいはクルミの木が使われる。弦と弓は、馬の尾毛が用いられる。クル・クヤクは1930年代までは主に独奏楽器であったが、1936年から西洋風に改良されたクル・クヤクが製作されて、器楽合奏で頻繁に演奏されるようになった。

【図2】 クル・クヤク(撮影:直川礼緒)

9-3-3 口琴

 クルグズには木製と金属製の口琴がある。金属製の場合は、最も一般的な名はテミル・コムズ【図3】、または、オーズ・コムズ、または、テミル・オーズ・コムズである。クルグズ語でテミルは鉄、オーズは口という意味である。コムズは楽器という意味である。木製の口琴は、ジガチ・オーズ・コムズ【図4】と呼ばれるが、ジガチは木という意味である。

 かつて口琴は女性と子供にしか演奏されなかったようで、若い女性は携帯に非常に便利なテミル・コムズをいつも身につけていたという。昔はほぼすべての女性がテミル・コムズを奏でることができ、その演奏は口頭で伝承されていた。しかし1979年からは当時クルグズで一番大きく、伝統のあるクルグズ国立児童音楽学校で楽譜と演奏方法の説明書を作り、テミル・コムズを教えるようになった。    

 クルグズでは口琴のために作られた曲が多い。楽譜に記された決まったメロディーがあっても、ソロ演奏の場合は必ずしも楽譜通り弾かなくても良い。同じ曲でも演奏家によって曲が変化する場合がある。つまり、コンサートで、演奏家の気分、お客さんの反応などにより曲の演奏が所々で変わり、即興が入るのである。

【図3】 テミル・コムズ(撮影:ウメトバエワ・カリマン)


【図4】 ジガチ・オーズ・コムズ(撮影:ウメトバエワ・カリマン)

(参考音源)
Ordo Sakhna. The Music of the Legends. Kyrgyzstan: 2000.
1. Spring At Ala Too Mountais/ Temir komuz group/ N. Nyshanov/

目次 

  1. 総論
  2. 古代メソポタミアからササン朝ペルシアに至る音楽文化
  3. 古代インドの音楽と楽器
  4. 胡楽の時代:隋・唐の宮廷における西域音楽
  5. 日本と朝鮮に及んだシルクロード音楽文化
  6. 南アジアの宗教音楽:ヒンドゥーとスーフィズム
  7. イスラーム全盛期の西アジアおよび中央アジアの音楽
  8. ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に
  9. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:クルグズ
  10. 中央アジア遊牧民族の音楽と語りの伝統:トルクメニスタン
  11. 近代西アジアの音楽とヨーロッパ音楽との交渉:トルコを中心に
  12. 環地中海の音楽文化とシルクロード:古代ギリシアとローマ
  13. 環地中海の音楽文化とシルクロード: 近代ギリシアとオスマン・トルコ
  14. 環地中海の音楽文化とシルクロード:イタリアとオスマン・トルコ
  15. 環地中海の音楽文化とシルクロード:セファルド系ユダヤ人音楽家の活動
  16. シルクロード探検史に見る音楽資料
  17. ワールドミュージックとしての新しい「シルクロード音楽」の創出

執筆者一覧  

  • 柘植元一
  • 植村幸生
  • 濱崎友絵
  • 岡田恵美
  • 丸山洋司
  • サワン・ジョシ
  • アブドゥール・ラーマン 
  • 阿不都賽米・阿不都熱合曼(アブドセミ アブドラフマン)
  • ウメトバエワ・カリマン
  • 瀧 知也
  • 金光真理子
  • 佐藤文香
  • 三代真理子

リンク